なぜカエルの時計屋さんの手作り腕時計なのか。

なぜカエルの時計屋さんの手作り腕時計なのか。

こんにちは。 ご覧いただきありがとうございます。 カエルの時計屋さんのデザイナーのOLIEです。 私は長野県の山に囲まれた場所に住んでいます。 カエルの時計屋さんは泡が入っていたり、波を打っていたり、 色とりどりのステンドガラスを用いて、 時の刻みが愛おしくなるようなまるで物語が生まれそうな手作りの腕時計を生み出しています。 もうかれこれクリエイター歴は16年になります。 趣味の木版画の技法を生かして牛革を染めたベルトを製作する父親、 時計を箱詰めする際に使う、 時計の雰囲気に合わせたフワフワクッションを製作する母親、 カエルの時計屋さんの時計がより多くの人の目に留まるように 写真動画を撮影するネパール夫、 そしてそんな我々を天真爛漫に応援してくれる幼き娘でこのカエルの時計屋さんは主に構成されています。 カエルの時計屋さんは 現代のよく巷で言われるストレス社会、 例えば・・・ ・コンプライアンスどうのこうのでルールが厳しくなっている。 ・どんどん世の中から縛られていって息苦しくなっている。 ・相手の顔色を伺い自分らしさを見失いがちになる。 そんな生きていて苦しくなる世の中に小さな抵抗をしてやろうと思い、 全身で個性を強調する勇気はないけれど、 シンプルな服を着ていてもチラッと見せる個性的フォルムな腕時計で自分の個を打ちだそう。 そして苦しくて自分の視野が狭くなっているその一瞬を打ち破る、 力の抜ける一瞬を作り出そう という思いで今手作り腕時計を作っています。 巷では流行の高級時計が出回っています。 腕時計はよく「権力の象徴」とも言われていて、 男性とか特に権力維持をするかのように高級腕時計を身につけています。 女性もブランドものの高級腕時計を身につけるとで 周りに対して自己顕示ができます。 ブランドものの高級時計でその人の価値を図る。 私は人よりすごいのよ、高いものを身につけているのよと見せつける。 しかもそういう時計は流行り廃りが早いので、 新しいモデルが出てきたら次の新作を身につけて周りに見せつける。 古い腕時計はブランド買取で売る。 その人の価値は値段やブランドでしか測れないのかな。 ちょっと窮屈に感じる時があります。 手作り腕時計はカチッカチッときっちり動く腕時計なのに 遊び心があります。 一定に刻む、かっちりしたものなのになぜか人の息遣いを感じることができます。 ブランド買取などに持っていったらお引き取り不可か値段もつけられないようなものです。 でもそんなお金では計れない価値を自分の中で見出して 敢えて身につける生き方って逆にカッコ良くありませんか? 今ある人間社会での辛いことを和らげる瞬間、 その瞬間を積み重ねていくことで、 世の中俯瞰に見えて、高い山から遠く向こうに広がる 小さな家々を見ると全ての物事がちっぽけに見える、 まるで絵本世界の1ページの様な 物語が始まりそうな心落ち着くこの腕時計を見つめながら、 まぁまぁちょっとお茶でも飲んで 肩の力抜きましょう♪ みたいなリラックスした、時を作っていきたいなと思っています。 そもそもなぜこのステンドグラスを使った手作り腕時計を作るようになったのか、 ちょっと長くなりますがOLIEの背景を話させてください。 ■■ ガラスに魅せられた幼少期 ■■ まだ20年以上もの親に連れられて何気なく入った地元長野の昔からある喫茶店、 ステンドグラスで彩られた窓から映し出される幻想的な光が私の座っているテーブルに映し出されて、 その瞬間ただの何気ないひとときだったのが、カラフルで華やかな時間に変わりました。 私はその美しさに心踊りたちまちガラスの虜になったのです。 ガラスでできた楽器、ビードロ、ガラスペン、いろいろなガラス製品を 机の上に集めて飾ってはうっとりと眺める日々を過ごしていました。 ■■ ガラスを使った創作活動 ■■ ガラスビーズほぼ同じ時期にハマり始めました。 カタカタとミシンを踏んで服や雑貨を作る母の背後で 時間が過ぎるのも忘れビーズで色々な立体物を創作する日々を過ごしておりました。 小さな一粒のビーズが色々な繋げ方をすると新たな立体物に変身するのは それはもう楽しかったです。 ビーズの教本だけに飽き足らず、 ちょっとアレンジを加えたり、テーマに沿って自分で試行錯誤しながら作品作りをしていました。 ■■ 腕時計への憧れ ■■ 手芸という一般的に女の子の定番という趣味にのめり込んでいる反面、 OLIEは幼少期探検ごっこが好きな、男まさりな少女でした。 世界の童話を母から読み聞かせしてもらったり眺めながら、 地図を見つめ自分の知らないまだ見ぬ世界を見ていました。 早く大人になって色々な国の色々な人に会ってみたいという思いもありました。 腕時計はつけていて大人っぽくて「カッコイイ」象徴で一種の憧れがあったのかもしれません。 縁日で親から買ってもらったおもちゃの腕時計を得意げにつけていました。 ■■ 無言で友達を作れるツール ■■ 時は流れ・・・ 小さい頃は怖いものなしな位に活発で比較的社交的だった私も 年が経つにつれどんどん一人でいる時間が好きな 内向的な子になっていきました。 それでも「人」には興味があったのでしょうね、 何気に気に入って買ってつけていたブルーの腕時計を ちょっとしたタイミングでいつも話すことはない人から「きれい〜。」と話しか けてくれたことがあったのです。 すごい、自然と会話が生まれた。 かなり嬉しくなったのを今でも覚えています。 こちらから話しかけなくても友達のできる腕時計、会話を生み出していく腕時計、 腕時計は自分が見たいときに見ることができて、尚且つ人が自然と反応して話しかけてくれる時計。 腕時計ってまさにさりげなく自分自身を表現できる道具だなと思ったのです。 次第に人が反応してくれてなおかつ自分も楽しい腕時計を身につけていくようになりました。 緑色の水が入った腕時計をつけて授業中ぼーっとしたい時に眺めたることもありました。 ■■ 手作り腕時計との出会い ■■ そんな学生時代、とあるマーケットで出会った飯田章先生が制作した青色のステンドガラスで出来 た手づくり腕時計と出会いました。 あの時の興奮は今でも脳裏に焼き付いております。 大好きなステンドガラスと大好きな腕時計、そして何より誰も持っていない「私」が表現できる ハンドメイド。 私と手づくり腕時計の運命的な出会いです。 でも当時の私はお財布の中空っぽで手作り腕時計を買うことができなかったのです。 その日を境に私の頭の中はあのブルーのステンドガラスの腕時計が後悔と共にぐるぐる回っていました。 なぜ、親を説得してでも買わなかったのか・・・。 しかも皮肉なことにその後色々なマーケットに出かけても あの飯田先生の腕時計には巡り会えなかったのです。 その当時は名前も知らなかったし、まだ今みたいにネットサーチなんて流行っていないので もう行けるマーケットに足を運ぶしかなかったのです。 ■■  これはもう運命だ!と思える出来事 ■■ 私は「カエルの時計屋さん」といブランドで今は活動しておりますが、 一番最初は「ふくろうの森」という名前で活動していました。 れっきとしたふくろう好きです。 なのでふくろうのハンドメイドの作品には本当目がなく、 お小遣いもふくろうのグッズを買うこと費やしていました。 ある日とある「ふくろう雑貨」の本を宝物のように読んでいました。 そこで見つけたステンドガラスで作られたふくろうの置き時計。 バイト代を握り締めてわざわざ上京して買いに行きました。 ふくろうのガラスの置き時計を見つめながら大学生活を過ごしていたとあるマーケットで、 50m程先の離れたお店にふくろうの置き時計がチラッと見えたのです。 「置き時計作っていたご本人だ!」 と喜び勇んで近づいていくと・・・ その隣にあの時見ていたガラスの腕時計があったのです。 ・・・・まさか同じ作家さんだったとは!!!!!!! 今まで出会えに出会えなかった時間とこのガラスのふくろうの置き時計と ガラスの手作り腕時計のダブルでの出会いで 一気に私の喜びは急上昇!!!! 早速青緑色のステンドガラスの手作り腕時計を購入したのです。 ■■  私がステンドガラスを使った手作り腕時計を作り始めるまで  ■■ このステンドガラスの時計をはめてから今までつけていたどの時計よりも皆がハッと注目して 知らない人からも声をかけられました。 そして何より美しさと温かさが共存しているこの時計は時が刻むのが楽しく感じられてつけている だけで充足感が得られたのでした。 ブレスレットのような鮮やかなステンドガラスの手づくり腕時計、 腕時計と認識されずに 「それもしかして腕時計なの?」という周りの反応に 「そうだよ!手づくり腕時計だよ♪」と答えるも 「OLIEが自分で作ったの??」と聞かれる。 「私が作ったんじゃないけど・・・・。」 それを繰り返していくうちにだんだん自分で作りたくなってきました。 飯田先生にお願いするも自分は教える立場ではないと断られました。 ひとまず手作り腕時計教室があるから行って見なさいと。 その教えに基づきその当時行われていた手作り腕時計体験教室に行きました。 腕時計が好きで、さらにハンドメイドの温もりがたまらない手作り腕時計なのですが、 私には足りないのです。 なぜなら、 ステンドガラスではないから。 ありったけのこの想いを伝えて先生もしつこい私に根負けされたのか ステンドガラスを使った腕時計の作り方を教えてくださいました。 そこから私の手づくり腕時計の制作の人生が はじまったのです。 先生の様にステンドガラスを使った、 でも私らしさ満載の手作り腕時計。 最初は体験として習った私でしたが もっと作りたい、もっと作りたいという思いが抑えきれず、 最初は機材も揃えることもできなかったので、そこら辺の砥石でガリガリステンドガラスを 腕が痛むのももろともせず削っていました。 時には寝ることも食べることも忘れて トントン金属を叩いて作っていました。 販売始めたのも作り始めてから半年。 廃業した銭湯を使ったイベントに もう人に見せたくてドキドキしながら出展しました。 初めて時計を買っていただけた時の気持ち忘れられないなぁ〜。 ■■  眠ることが怖いと思った日々 ■■ 順風層に見えるOLIEですが、 実はもう辞めようと思った時もあります。 手作り腕時計を10年くらい作り続けていたある日、 百貨店に売りにいこうと朝起きたら 世界がグルグル回り始めたのです。 起きていられない。 初めてのことでドキドキしたのですが どうにか体を休め休めでその出展は乗り切りました。 それから何度もめまい、 そして夜中に突然の腹痛で苦しむ日々。 今考えると相当体に負担かけていたんでしょうね。 寝てお腹が痛くなったらどうしよう、 朝めまいで起きられなかったらどうしよう、 不安な日々を送っていました。 それと同時に腕時計を作る意義を見失いかけていたのです。 お百姓さんのように野菜を作れば 人間の体の中に取り入れられてまた土に循環していく、 それに対して手作り腕時計は土に全てが循環するわけではない、 形あるものはいつかは壊れる。 形あるものを生み出す価値はどこにあるのだろう。 腕時計を作ることは寝食忘れるくらい楽しいけれど、 体を壊してしまうし、腕時計の作る意義が見えてこない・・・。 もう、違う事をしようかなと思っていた矢先、 とある展示会で一人の女性の方が、 「OLIEさんの腕時計をつけていると本当幸せな気持ちになれるんです。 だからずっと作り続けていてください!」 とおっしゃってくれたのです。 何か熱いものがこみ上げてくるのを感じました。 迷っていたこの気持ちを誰かに言っていたわけではなかったのですが、 必要な時に必要な言葉って来るんだなって思いました。 ちなみにその頃からネットでの販売をスタートしていたのですが、 顔の見えない私の腕時計を購入してくださって、 その喜びのお声をたくさんいただく機会に恵まれたので これは私はやめるべきではない、 私が作った腕時計が時間を見るその1瞬に彩りを与えることができる。 それならもっともっと身につける人の生活に彩りを添える 私だから出来る腕時計を作ろうと思ったのです。 ちなみに一時は体を壊した私です。 それでも腕時計を作ることは本当に楽しいので、 長く作り続けられるように今では体を労わりながら 朝散歩などをして体調管理はしておりますのでご安心くださいね。 腕時計を試行錯誤しながら作るのは本当に幸せな時間です。 でもそれ以上に幸せなのはそれを愛おしそうに手に取ってくれる人達。 たくさんのお客様と出会いお話をしながら、 こんなの喜ぶかな? あんなの作ったらびっくりするかな? なんて考えながら作ります。 カエルの時計屋さんの腕時計によって、 息詰まってくる大人社会、 心塞ぎそうな気持ち イライラしてしまう心が この時計を見たらほっと和らぐ、 そしてこの腕時計を見るだけで自然と笑顔が伝染していき、 言葉の壁を超えて世界の人にニコニコが広がり、 自然とコミュニケーションが生まれて仲良くなれる世の中になってもらえれば嬉しいなと思います。 身につけているだけで 一刻一刻が1秒でも長く幸せに感じてもらえるような時計作りを心がけています。 わからないことがありましたら気軽にメッセージくださいね。

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