ハンドメイド作家としての17年間

ハンドメイド作家としての17年間

ハンドメイド活動を始めて17年が経った。 一番最初に始めたきっかけは、 20歳の時美容師を辞めた時期。元々美容師は親が美容師だから…と言う軽い気持ちでなっただけで、やりたい仕事でもなかった。 美容師を辞める時に、自分は本当は何がしたいのか?と振り返り、そうだ!手芸が小さい時から好きだったんだ。と思い出した事がキッカケで大人になってからまた物作りを始めた。 デザインフェスタもその時に始めて知り、こんな世界があるんだ!と衝撃を受けた。 一番最初に好きになった作家さんとの出会いで、 私もこの人の様に物作りがしたい!と思う様になった。 その当時はmixiが主流で、mixiのコミュニティーでアクセサリーの販売をしていた。 アクセサリーはちょこちょこ注文が入っていたけど、趣味程度にやっていた位だった。 他の仕事が忙しくなるとハンドメイドが疎かになり、やらない時期もあったり。 ハンドメイドを仕事にするなんて、微塵も考えていなかったし、趣味でやる物だと思っていた。 初めて委託販売をした下北沢のレンタルボックスは3ヶ月後にお店が潰れてしまった。 有名な雑貨屋さんで委託販売したくて、作品の写真を封筒に入れて送ってみたりもした。 返信はなかった。 また別の人気雑貨店へ写真を持って行き面接もしたけど、それも落ちてしまった。 作品の写真を見せても返事をもらえなかったり、受け入れてもらえない事を何度も何度も繰り返した。 それでも、好きで作っているだけだし自分が作りたいから作る、売れなくてもいいや。と思いながら作り続けた。 その時ハンドメイドマーケットのオンラインサイトminneができた事を知り、すぐ登録した。 もちろん最初はほぼ売れなかった。 この時既に7年が経っていた。 そんな中、転機が訪れた。 子供用の帽子を作り始めた。 それがminneでピックアップされ、ネットニュースにも掲載され、minneの本にも掲載されるなどして帽子が売れ始めた。 minneのイベントで新潟の伊勢丹に出品した時は すごく嬉しかった。 その時は帽子だけでなく、アクセサリーやベビー雑貨も作っていた。 メッセージでとある雑貨屋さんからお声がかかり、作品を置いて欲しいというメッセージを頂いた。 色々やりとりし、アクセサリーも置いて欲しいとお願いしてみた所、あなたの作品は遊び心がない!とダメ出しされた。 悔しかったので、遊び心を意識してブローチを作った。 これはどうですか?と聞いてみると、 これはすごくいい!と褒められたが、全然嬉しくなかった。私はこの人に評価されたくて作品を作っている訳じゃないのに…と思い始め、その仕事は断ってしまった。 自分には才能も技術もセンスもない。 そんな事は分かっていた。 だけど、作るのが好き、自分が作るカワイイがいつか誰かにハマるかもしれないという思い一心でやってきた。 その頃から新しく作り始めた、くまのぬいぐるみ。 これもminneにピックアップされたり、minne内の色々な特集からお声がかかり、トップページに掲載される機会も増えていた。 そして2017年に行われたminneのハンドメイド大賞で最終審査まで残り、表参道で開催された上位100作品の選ばれた作家さん達が集まる授賞式にも呼ばれた。残念ながら賞は取れなかったけど、長年続けてきてよかった!と思う幸せなひと時で、会場に来ていた作家さん達は本業でバリバリやっている方も沢山いて、話を聞いて、この時から自分もハンドメイドを本格的に仕事にしたい!と思いはじめる様になっていった。 そこから国内の百貨店や人気雑貨店から沢山お声がかかるようになった。 去年、初めて上海でのイベントにも出展でき、海外販売も目を向ける様になった。少しずつではあるけど、着実に前に進んでいると感じる事が増えてきた。 それでもやっぱり、迷子になってしまう事もあり、私の場合は長く続けてきたから今があるのであって、短期間で売れっ子になってる作家さんや人気作家さんを見ては落ち込む事もある。 1人で仕事と向き合っていると、深く暗い沼にハマり孤独を感じたりもするけれど、17年間で積み上げてきた物を無駄にしない為にこれからも作り続けていこうと思う。ただ好きだから続けているをこれからもずっと貫いていこうと思う 文章を書く事が苦手なのと、17年間が長すぎてどうまとめて良いか分からず、かなりヘンテコだったと思いますが、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。 Instagramではmarucoroの最新情報をアップしていますので、フォローよろしくお願いします。

ぬいぐるみ作家

marucoro
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