小さなころから、祖母の手作りのお洋服が大好きでした。
それは祖母が母に作ったヒスイ色のウールのコートだったり、トンボ柄の木綿の浴衣だったり。
曾祖父たちと共にはるかセイロンを旅した黄色い革張りの大きなトランクも、捨てられるところを引き取ったりと。
とうに用途すら無くした古い物たちにはそうなるまでの流れた時間や物語があり、物が内包する時間に比例した価値や風化の美しさがあるように思えるのです。
幼いころ、父の故郷である瀬戸内海の島を歩きながら貝殻やシーグラスを拾っていました。
大人になり羊毛や刺繍をたしなみだしてからも折に触れシーグラスが大好きだったことを思い出し、簡易金継ぎとの出会いがきっかけで漂着物と羊毛を組み合わせるようになりました。
漂着物をアクセサリーに使おうと思い始めた時、今まで心惹かれた物たちには常に”時間”の流れがあった事を思い出しました。
それは必然的であり、小さなひとつの物語のようです。
時間の経過が生み出す漂着物の表情は多彩です。
シーグラスの何とも言えないぽってりとした丸みやくすんでうっすら透ける色合いは繊細でつややかです。
シータイルの優し気な褪せたパステルカラーは軽快で可憐。
真っ白なシー陶器は静謐な品すら感じますし、生活の断片が色濃いシー陶器はまるっこくて可愛げがあります。
どれも、実に”美しい”と私は感じています。
古くは浜歩きや磯まわりと呼ばれていた、浜辺を歩き様々な漂着物を探し集めるビーチコーミング。その採集は、昔から行われてきた日本人のなくてはならない営みのひとつでした。
和歌山や新潟など、様々な場所で採集されたシーグラスを見てきましたが、九州地方のシーグラスが一番丸みを帯びて美しく思え、hanmmmoでは主に九州地方で採集されたシーグラス等の漂着物を使ってアクセサリーを制作しております。
どれほどの時間海を漂い波に研磨され続けたのだろうかと、ひとつの漂着物が経てきた時間に思いを馳せます。
漂着物を身にまとうのは古くを新しく、時を受け継いで今もなお風化の途中であり続ける、物語の中に放り込まれたような感覚があり魅力的です。