繋ぐもの

繋ぐもの

人里離れた森の奥深く。誰も寄り付かない不気味なその場所には、恐ろしい魔女が住んでいる。  魔女とはつまり化け物だ。殺しても死なず、恐ろしい魔法を使い、神に背いた愚かな人の成れの果て。森に迷い込めば魔女に取って食われ、戻って来る者はいないと言う。  「くだらない」と一括するには的を得ているせいで、鼻で笑うことが出来ない私は、化け物だと罵られる魔女にしてはあまりに人間味を帯びていて、化け物にも成り切れぬ半端者だと、頭の傷から流れ落ちてくる赤い血を見て思う。  森に迷い込んだ子供たちが獣に襲われぬよう、早々に追い返してやろうと思った矢先に、化け物だと石を投げられた、ありふれた一日。 「……魔女リーリエが、石を投げたごときで殺せると思うな」  少し睨みを利かせてやると、子供たちは悲鳴を上げながらバタバタと慌ただしく走り去っていった。あのまま走れば森を抜け、町に出るだろう。  ふと、足元を見ると、子供が一人落ちていた。酷くボロボロで傷だらけの貧相なその子供は、先ほど逃げていった子供たちに置いていかれた可哀想な男の子、というものか。 「おい、小僧。そのままそこに落ちたままだと、取って食ってしまうぞ」  起き上がる素振りを見せない子供に、仕方なくしゃがみ込んで見ると、痛々しい殴られた痕をたずさえた子供は、気を失っていた。  ああ、そうかと、ため息が零れる。人を散々化け物だと罵るくせに、同種同士で傷つけあう、そんな愚かな生き物が人間というものか。  夜の森で獣に食われてしまうであろう子供を放置していくのも夢見が悪いと、傷だらけの子供を抱き上げて家に帰る。魔女に拾われるとは、この子供もつくづく運の無いものだ。           𖥧 𖥧 𖥧  家に連れ帰り、目を覚ました子供は「ディア」といった。生まれつきの白い髪と赤い瞳のせいで、忌子だと町の人々から忌み嫌われたその子供は、身寄りもなく、帰る場所などありはせず、仕方なく家に置いてやることにした。 「魔女は不死身の化け物だ。食われたくなければ少しぐらい、魔女リーリエの役に立つよう生きなさい」  厄介なものを拾ってしまった。人の子など、面倒極まりない。ディアは最初こそ私に怯え、息を潜めるように家の隅で小さくなっていた。物を食えと言っても怯えて出てこず、風呂に入れと言っても水を怖がる。  どこまでも手のかかる厄介者だが、この家で死なれても困る、いずれ嫌気がさして家から出て行ってくれるだろうと世話をしてやると、徐々に、徐々に、下手くそな笑顔を見せるようになった。化け物と罵られる私に向かって。 「ずっと一緒にいてくれますか……?」  怖い夢を見たと私を叩き起こし、寝付くまでそばにいてくれと言うからベッドのそばで眠たい目を擦りながらディアの手を握っていると、とても遠慮がちにディアが問うてきた。 「ずっと、そばに置いてくれますか……?」  いまにも泣きそうな顔でそんなことを言う。私の顔色を伺うように、それでもギュッと私の手を離さぬように。 「簡単にずっと一緒など口にするな」  そう私が答えた時、ディアがどんな顔をしていたか、よく覚えていない。それはきっと、私が目を逸らしたからだろう。 「私は魔女だ。化け物なのだ」  だから、お前は私を置いていくだろう。そう、口に出そうとして止めた。酷く、惨めに思えたのだ。           𖥧 𖥧 𖥧  ディアは見る間に大きくなって、私の背丈を追い越して、とても優秀に、なんでもこなすようになっていった。その時間は、魔女の私からしてみれば、瞬きにも満たないような一瞬で、酷く下手くそだったディアの笑顔がとても穏やかな微笑みに変わっていくたびに、心がじんわりと温かく、一抹の寂しさを覚えてしまった。 「リーリエ様」  気が付けば、私の名前を大層大切で特別なものかのように、愛おしくてたまらないというようにそう呼ぶディアを、仕方なく許してやった。           𖥧 𖥧 𖥧 「リーリエ様はずっとなにを探しておられるのですか?」  ある日、ディアが不思議そうに問いかけた。口が達者になったものだ。私の元に来たときは、ずっとビクビクと縮こまっていたくせに。 「リーリエ様とともにいくつもの世界を飛び回って参りました。リーリエ様の次元の魔法についても、教えていただいたおかげでよくわかりました。貴方様は世界を飛びまわる旅人だと、そう、私に教えてくださいましたね」 「……いつからお前はそんなに丁寧な言葉遣いをするようになったんだ? 私は教えていないぞ」 「リーリエ様のそばに置いていただいているのですから、当たり前のことです」  とても穏やかな微笑みを浮かべるディアは少々生意気に見えて、育て方を間違っただろうかとため息をつく。 「リーリエ様のことはよくわかっております。けれど、わからないのです。世界を飛び回るたびに、リーリエ様が『この世界にもなかった』と、酷く残念そうにおっしゃる意味が」  ディアの赤い瞳がじっと私を見つめる。少し居心地が悪いのは、特別な瞳の色のせいか。 「なにを探しておられるのですか?」 「さあなぁ。いったいなにを探しているのだろう?」 「……意地悪ですね」  拗ねたようにディアが頬を膨らませる。久方ぶりに見た子供らしい表情に笑ってしまった。 「意地悪ではない。わからぬのだ、私にも。私を繋ぎとめるものが。私が探し続けるものが。魔女というものはな、神に呪われているのだ。だから死ねない。私を繋ぎとめるなにかを見つけるまで」 「……羨ましいですね。神というものは」 「羨ましい?」 「貴方様に呪いをかけられるなんて」  そう言ったディアが酷く悲しげな笑みを浮かべるものだから、なぜか胸がギュッと苦しくなった。 探し物の魔女リーリエ。世界に散らばる自らの呪いを探し続ける魔女。 長年、そう生きて来た私の心を、こうも簡単に動かす男など、無数にある世界を探してもディア以外にいないだろう。           𖥧 𖥧 𖥧 「リーリエ様!」  ある日の昼下がり。外に出ていたディアに呼ばれ、温かい日の光が降り注ぐ庭に出ると、ディアは花壇の前に座り込んでいて、やって来た私を見て微笑んだ。 「植えた覚えのない花が咲いています。鳥が種を持ってきたのでしょうか」 「そんなことで私を呼んだのか」 「美しいものはすべて、リーリエ様にお伝えしたくなるのです」  ディアが照れくさそうに笑う。花壇の隅に咲く小さな花も、庭の木に出来た小鳥の巣も、ディアがいないときは気が付かなかった。 生き続けなければならない私の世界が、こんなにも美しいなんて。 「リーリエ様。お手を」  ディアが私の左手を取る。そして、薬指に指輪をはめた。花壇の隅に咲いた、小さな花で作った花の指輪だ。 「一片でも多く、貴方様の中に私が残りますように」  照れくさそうな笑顔を浮かべ「質素な指輪で申し訳ありません」と言う。  ああ。視界がチカチカとうるさい。動き方を忘れていた心が騒がしい。目の前の人の子が眩しくて、自分が化け物だということを忘れそうになる。  ディアに何と答えたかは覚えていない。ただ、貰った指輪が枯れてしまわないよう、魔法をかけて、ディアの目につかない私だけの宝箱に入れておいた。           𖥧 𖥧 𖥧  神に呪われた化け物の世界を、目が眩むほどに色づける。人の子のくせに、魔法も使えないくせに、ディアの口からこぼれる言葉が私の心を動かしてならない。  だからこそ、忘れていたかった。いつか来る別れも、まだ遠いものだと楽観的に捉えていたかった。魔法をかけていない花が一瞬の間に枯れるように、大切なものは大切に魔法をかけて隠しておかねばならないことを忘れていた。 神の呪いは、私から多くのものを奪うのだと、思い出すべきだった。  ディアが消えた。  迫りくる魔女狩りの魔の手から逃れるために、いくつもの世界を飛びまわり、ようやく追っ手の姿が見えなくなって後ろを見ると、そこにいるはずのディアはいなかった。  追っ手から私を庇い負った傷のせいか、はたまたただの人の子には、数多の世界を飛び回る負荷が大きすぎたのか、ディアは一片の欠片も残さず、まるで、最初からそこにはいなかったかのように消えてなくなっていた。 「……ディア?」  身体も、魂も、すべて散り散りになって。 「ディア? ディア?」  無数にある世界の中に飛び散って。 「ディア、どこにいる?」  跡形もなく、私の前から消え失せた。 「私の愛しい子……?」  赤い瞳も、白い髪も、私を見て愛おしくてたまらないというように笑うその表情も、いつの間にかに私を追い越していた背丈も、声も、涙も、そのすべてを。  私の中に残したまま、私の隣から消えてしまった。 『一片でも多く、貴方様の中に私が残りますように』  違う。違うんだ。もう、胸がいっぱいになりそうなほど、私の中はお前がすべてだったんだ。隣にいて欲しかった、隣で笑っていて欲しかった。  これが私にかけられた呪いか。神に嫌われた化け物は、愛おしいものを追いかけて散ることすら許されないのか。  とうに忘れたと思っていた涙が頬を伝う感触を覚えながら、立ち上がることも出来ぬまま、ただ地に倒れこんでどれほどの時が流れたのかもわからなかった。いままで生きて来た時よりも長い、永遠のようだった。 「リーリエ様」  声が、聞こえた気がした。 「……ディア?」  聞き慣れた、聞こえるはずのない声だ。身体を起こし、あたりを見回す。どこだ。どこにいる? 私の、私の……。  なにかが私の左手で光っている。 「……?」  左手の薬指に、指輪がはめられていた。  見覚えのない、小さな花の彫刻があしらわれた銀の指輪。なぜだろう。その指輪が、以前ディアが作ってくれた小さな花の指輪と重なったのは。 「質素な指輪で申し訳ありません」  なんて言いながら、照れくさそうに笑ったディアは、その後にこう言ったはずだ。 「いつか、ちゃんとしたものをプレゼントいたしますから」  貰った指輪も違う世界に置いてきてしまった。魔法をかけて、大切にしまっていた指輪。 「……ああ……」  奇跡なんて信じない。けれど、神に呪われた私が、まだ、私の愛おしい人の子と結ばれることを夢見ていいのなら。  無数の世界に散らばった、ディアの欠片を集める旅をしよう。見つかるかもわからない探し物の旅。長い旅には慣れている。私の中に残るあの子の記憶を手掛かりに、ディアの身体も魂も、一つ残らずすべて集めて、もう一度、もう一度あの下手くそな笑顔が見られるように。  そうして、また、私の隣に戻ったら、こう言ってやるのだ。 「ずっと一緒にいてくれるのだろう」           𖥧 𖥧 𖥧 「繋ぐもの」 著者|柚里カオリ 関連作品|記憶の指輪(捜索中)

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絵と指輪と。

atelierꕤtuno
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