私がフェイクスイーツと出会った大切なきっかけについて

私がフェイクスイーツと出会った大切なきっかけについて

ハンドメイドを始めるきっかけって、皆さんそれぞれストーリーがあると思います。 私の場合、そのきっかけが、命に関わるほど大きな体験でした。 できれば経験したくなかったことですが、でもこの経験が無ければ フェイクスイーツの世界も、そして私の作品を通しての出会いや物語も生まれていません。 私が「ほっころーむカフェ」として活動する前のことをプロフィールとして一度まとめておきたかったのでここに記します。 当カフェのことや、私のフェイクスイーツ製作活動に対する思いが少しでも分かっていただけたら嬉しいです♡ お時間のある時にお読みください♡ ********* 2013年の夏、突然くも膜下出血になり、自衛隊のヘリコプターで沖縄まで搬送されたのが 7月15日。 私の記憶は、沖縄まで運ばれた場面で途切れていたのですが、後で話を聞くと 翌日16日の朝までは、意識もわりとハッキリしていて、夫や友人とも会話ができていたみたいです。 でも私は、16日も 手術を受けた17日も全く記憶が無く 目が覚めたのは、18日の朝でした。 いたっ……痛い……とにかく、あちこち痛い…何があったの?と思って目をこらしたら・・・・ 「目が覚めたみたいね。良かった。手術が成功したんですよ」と、私の顔をのぞきこんだ看護師さんに言われて え!手術!? ………いつの間に!?!? ってなって 驚いている私に、看護師さんが教えてくれました。 「あなたのご主人はすごい人よ。カッコいい。 主治医の先生が、「奥様の頭皮を切って、頭蓋骨を開いてクリップで止める」という手術説明をしたら、ご主人は説明を聞いているだけで体が震えるぐらい恐くなったそうなの。 しかも、手術は成功するかどうかもわからない。 もし成功しても、血管が傷ついて重い後遺症になる可能性もあると言われて。それで、ご主人が私達や先生に、こう言ってきたの。 “僕の妻はとても恐がりなんです。 今の説明をしたら、絶対怖がって手術を拒否すると思います。 でも命が助かるために手術だけは受けてほしいので、どうか手術をすることは妻に内緒にしていてくれませんか? 私が全て責任を背負って同意書にサインします。 だから皆さん、妻には何も知らせないで手術を受けさせてください”って。 こんなご主人初めてで、申し送りの時も話題になって、みんな感激してたのよ。 だからあなたは手術室に入る前、検査するだけだと思っていて 大手術の直前に、写真撮って~ってご主人に笑顔をふりまいていたのよ(笑) ご主人の思いやりのおかげで助けられたね。ご主人喜ばせるために絶対元気になろうね」 と聞かされて。 もう話の途中から涙が止まりませんでした…。 夫の言うとおり、私は昔から、異常なまでの恐がりで、ちょっとケガして指から血が出ただけで大げさに騒ぐような、痛がり怖がりの小心者でした。 もし、自分の頭皮を切って頭蓋骨を開けるなんて言われたら、私は絶対に手術を拒否していたと思います。 もし手術しなければ今ごろ私は……。 夫がいなかったら、私は助かっていなかったかもしれない。 夫が、私の恐怖も 命の責任も背負ってくれたから、いま私の命があるんだと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。 退院したら、必ず恩返しするつもりでいました。 それなのに。 退院後の生活は、そんなに甘くはなかったのです。 入院中のリハビリで、自分で歩くことはできるようになったものの、私の脳は大きなダメージを受けたようで、様々な弊害が出るようになっていました。 まずは、「情動失禁」です。 情動失禁とは、他愛もないことで、泣いたり怒ったりの感情が出てしまい、自分でそれをコントロールできなくなることです。 退院後の私は、まるで小さな子どもみたいな精神レベルでした。 特に悲しい感情が強くなっていて、外出先で ちょっと何かあるだけですぐに泣いてしまうので、恥ずかしくて外に出られなくなりました。 1度目は、買い物していて人とぶつかった時。 「すみません」と謝りましたが、相手には聞こえていなかったみたいで、ぶつかった女性の方から不機嫌な声で言われました。 「ごめんなさいぐらい言いなさいよ!」 そのたった一言で、私は急に泣き出してしまい、周りの人にジロジロ見られて…私は逃げるように家に帰りました。 2度目は、子どもがインフルエンザにかかったので病院に連れて行って、看護師さんと会話した時。 「インフルエンザの予防接種は受けさせたの?」 「いいえ 受けさせてません」 「あなた、インフルエンザが重症化するってこと知らないの? 昨日も一人、救急車で運ばれてきたわよ、こういうのは親がしっかりしないと・・・・」 途中からもう相手の話が耳に入らず、私は涙いっぱいになって、そばで見ていた我が子に、お母さん大丈夫だよと背中をなでられ・・・夫に迎えに来てもらって号泣しながら家に帰りました。 家族の優しさで余計に落ち込む私 そんな私を見ても、家族は、優しく慰めてくれていました。 「あんな大きな手術したんだから仕方ないよ。命が助かっただけでいいんだよ。」 でもその時の私は、何を言われても前向きになれなくて。 見た目は普通なのに、中身はこんな風になってしまって、これから一体どうしたらって・・・。 家にいても、頭がボーッとして家事もほとんどできず たまに調子が良くなったと思って動いても、失敗ばかりだったんです。 ご飯を炊いたつもりが、洗ってもいないお米を入れ、水も入れずに気づいたら空焚きしていたり 子どものゲームソフトがどこを探しても見当たらないと思ったら、私が間違えて冷蔵庫に入れていて 逆に、買っておいたチーズケーキを、ゲームソフトと間違えてテレビ台の下にしまいこんで、気づいた時にはケーキが腐っていたり。。。 ある日、子どもの算数の宿題を見ていて、8+4の答えがいくら考えても分からなかった時に「もうこれはダメだ」と、激しく落ち込みました。 私はこのままこの家で、母親としても妻としても何もできない 体に麻痺があるわけでもないのに動けない なんのために助かったの? 私って いる意味あるんだろうか…。 とんでもないマイナス思考に陥ってしまっていました。 外で周りの人に声をかけられても、このもどかしさや辛さは バレると「恥」な気がして、私は無理に笑うようになり そんな自分に疲れて、家に閉じこもるようになっていきました。 でも夫だけは、諦めずに 私のフォローをしてくれました。 私が何もできなくても、責めたりすることなく、家事、育児、仕事の全てをこなしてくれて、ただ、淡々と普通の生活をしている背中を見せてくれました。 でもその時の私には、その姿を見ることがよけいにプレッシャーに感じてしまい、ある日とうとう、言ってはいけない言葉を言ってしまいました。 「私やっぱり、助からなければ良かったかな。子ども達には別のお母さんがいてくれた方がいいかもしれない。私は、いるだけで周りに負担しかかけてない」 自分で言いながら、涙が止まりませんでした。 本当は家族とずっと一緒にいたい、でも助けてもらっておきながら何もできないからこんな自分はいない方がいいんじゃないかって。 夫は しばらく黙りこみ、少しため息をつきましたが、その後、私に向かってこう言いました。 「あのな、ユミが子どもの世話するのがしんどいなら、世話する代わりを探すことはできるよ。 でもな、お母さんって、そういうものじゃないんやで。 あの子達にとって、世話する代わりはいくらでもいるけど、お母さんの代わりだけは、お前以外にどこを探してもいないんよ。 俺にとっても子ども達にとっても、お前は絶対に必要な存在。 どんなにボケてもいいからさ、それだけは忘れんといてな。」 ********* 夫からのその言葉で、自分が考えていた事がどんなに情けないことだったか痛感し そして何より、必要だと言ってもらえたことが、嬉しくてありがたくて。 それから、私は自分なりにできることだけをするようになりました。 私の場合、右手側に痺れが残っていたので、とりあえず、右手のリハビリのために、気がまぎれる塗り絵に集中したり 夫から、今日の宿題はたこ焼きを焼くこと、と言われたら、その宿題に挑戦したり(たこ焼きをクルクルまわす動きがリハビリにちょうど良かった) とにかく、自分を責める時間を少しでも減らす努力をしていました。 そんな時です。 たまたま見ていたYouTube動画で、樹脂粘土を使って美味しそうなスイーツが出来上がるところを見て 「うわ~~~ すごく可愛い♡」と一目ぼれ。 夢中になっていろんな動画を見るうちに 「これなら指先のリハビリにもなるし、スイーツ大好きだから私もやってみたい」と心が躍る感覚がしました。 この「リハビリのためのフェイクスイーツ作り」が、私にはピッタリ合っていたようで ネガティブな自分はどこに吹き飛んだの?というぐらい、日に日に笑顔が増えるようになり 自分が作ったフェイクスイーツのヘアゴムやマグネットをあげた友人や知人が次々に 「ユミちゃんこれ販売したらきっと売れるよ!」と言ってくれるようになりました。 住んでいる地域がとても小さいところなので、ハンドメイドのイベントは滅多にありませんでしたが 一度だけイベントでの出店もさせていただき、その時に自分の作品をたくさんの方がキラキラした目で見てくださったり 喜んで買ってくださったりする姿を見て 「病気になった私でも 人に喜びを与えることができるんだ」と希望を抱いたのを今でも覚えています。 ミンネでも、その頃に一時期販売しておりましたが その後に夫の転勤で地元から遠いところに転勤し、第三子を出産したこともあり、なかなか製作時間を設けることが難しく 2年間ほど活動を休止していました。 病気発症から8年たった現在では、くも膜下出血の後遺症ほぼなくなり、夏場の暑い時期だけちょっと体調が悪くなるので ゆっくり過ごすよう気を付けているぐらいで、すっかり元気。数年前には待望の第三子も授かりました。 上の2人が男の子の年子で、「3人目が授かるなら、女の子が欲しいね」なんて言っていた矢先に病気になり 脳血管のことを考え、妊娠や出産はあきらめた方がいいかもしれないと思っていました。 そんな私が、無事に出産することもでき、今ではその娘も4歳になりました。 娘が2歳半を過ぎたあたりから決めていました。 「よし、そろそろまた大好きなリハビリ粘土を始めて、年が明けたらミンネでのフェイクスイーツ販売を必ず再開しよう♪」 どんなに狭い家に引っ越しても、道具を片付ける空間が無くても、フェイクスイーツの道具だけはまた必ず使いたいと思って ずっと大事に保管していました。 そして、2020年11月から製作再開。 そしたらもう楽しくて楽しくて♪♪ この再開をきっかけに、今までよりももっと「自分も楽しい、嬉しい、買う人も嬉しい」そんな活動にしようと思いながら準備を進めてきました。 決意の通り、2021年1月から販売を始めて早1年。。。 作品を購入したり気に入ってくださる方もいて、喜びの循環ができていることに、現在はとても幸せを感じています。 以前活動していた頃は、自分の経験不足から、「自由に表現する」という部分について消極的な部分が多かった気がします。 ですが今の私は違います♡ 「ほっこりシンドローム」という屋号にまつわる言葉も自分で考えて(それに関してはプロフィールで説明しています♬) 「ほっころーむカフェという架空のカフェのオーナーになりきる」と決意して 作品も、自分の本当に作りたいデザインを追求しながら作っています♡ ********** ここまで読んでくださった方、本当にありがとうごいます。 このレターのトップ写真は、私が開頭手術を終えた後、入院していた頃にいつも見えていた病院からの窓の景色です。 夕焼けの色が綺麗に見えれば見えるほど、自分の未来が真っ暗に感じて 不安に明け暮れていました。 思い返せば、樹脂粘土を触ることになったきっかけは、本当に辛くて痛い経験でしたが その経験があったおかげで、今こうして、自分の思いをカタチにしてお客様に届けるということができているので 本当にありがたいことだと思っています。 粘土って本当にすごいんです。 最初はただの白い塊ですが、手間ひま、愛情をかければかけるほど、見事なまでに可愛くなってくれます♡ そして、一度固まったら、何ヶ月も何年も、癒してくれる存在で自分のそばにいてくれます♡ 私は、私の好きな世界感を同じく好んでくださる方に、このミンネの中できっと出会えると思っていますし 私の作品を手にとってくださる方には満足度 120%になってもらいたいという気持ちで 小さいパーツも大きなパーツも、全て心を込めて作っています♡ 私のフェイクスイーツを通して、その想いが少しでも伝われば幸いです。 今後とも、ほっころーむカフェをよろしくお願いいたします。

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リハビリ粘土作家

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