順番が前後になったかもしれませんが、手描き屋が手描きだけでなくプリントTシャツも手掛けるようになったきっかけは、このTシャツからでした。
20以上前のこと、旦那の古い友人だった、ジャズドラマーの「中村達也」さんから初めてプリントTシャツの依頼を受けました。
中村達也さんは(同姓同名で同じくジャズドラマーの方がいらっしゃいますが?!)栃木県のご出身で、今は大田原市のふるさと大使もされているそうです。若いころから単身渡米されてお勉強、ご自分の創意工夫で楽器を制作されたり、アフリカの楽器バラフォンやカリブ海のスチールドラムの演奏もされています。
この「達ちゃん」のご注文をきっかけに、シルクスクリーンプリントができる「Tシャツくん」という機械を新たに購入し、初めてプリントしたのがこのシャツです。
当時「Tシャツくん」は今ほど普及していなかったのではないでしょうか。中村達也さんのイメージされるデザインを原画に起こして製版し、1色刷りで何十枚か刷りました。
(デザイン2つを、Tシャツの地色も何色か、インクも何色かそれぞれ変えてプリントしました。)
公演するライブハウスで販売されたそうです。
現在Tシャツは手元に残っていないので、刷りなおしてみました。
今見るとかなりシンプルなデザインだったと思います。
順番が前後になったかもしれませんが、手描き屋が手描きだけでなくプリントTシャツも手掛けるようになったきっかけは、このTシャツからでした。
20以上前のこと、旦那の古い友人だった、ジャズドラマーの「中村達也」さんから初めてプリントTシャツの依頼を受けました。
中村達也さんは(同姓同名で同じくジャズドラマーの方がいらっしゃいますが?!)栃木県のご出身で、今は大田原市のふるさと大使もされているそうです。若いころから単身渡米されてお勉強、ご自分の創意工夫で楽器を制作されたり、アフリカの楽器バラフォンやカリブ海のスチールドラムの演奏もされています。
この「達ちゃん」のご注文をきっかけに、シルクスクリーンプリントができる「Tシャツくん」という機械を新たに購入し、初めてプリントしたのがこのシャツです。
当時「Tシャツくん」は今ほど普及していなかったのではないでしょうか。中村達也さんのイメージされるデザインを原画に起こして製版し、1色刷りで何十枚か刷りました。
(デザイン2つを、Tシャツの地色も何色か、インクも何色かそれぞれ変えてプリントしました。)
公演するライブハウスで販売されたそうです。
現在Tシャツは手元に残っていないので、刷りなおしてみました。
今見るとかなりシンプルなデザインだったと思います。