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アメリカ先住民初の聖人で、虐待にも耐え信仰を持ち続けた聖カテリ・テカクウィタのメダイネックレスです✧*。
† 聖カテリ・テカクウィタ(St. Kateri Tekakwitha)
カテリ・テカクウィタは1656年モホーク族の酋長と捕虜として連れてこられた部族の娘マリアの娘としてにニューヨーク州オーリーズビルの町の近くで生まれました。
母マリアは幼少時フランス人開拓者に引き取られた孤児で、キリスト教の洗礼を受けていました。
父はモホーク族の中で最高の地位にあり、テカクウィタは母からキリスト教を教わりました。
テカクウィタの父はキリスト教を快く思わず、娘から遠ざけようとしました。
1659年彼女が3歳の頃、天然痘が流行し、1660年両親と弟が病没、テカクウィタも感染し彼女の顔を変貌させましたが、母の友人の献身な看護で回復し、父の妹夫婦に引き取られ養女となりました。
叔母夫婦の下でモホーク族の生活習慣を身に付けたテカクウィタは、11歳の頃初めて宣教師と出会いキリスト教に傾倒しました。1673年17歳となったテカクウィタは、部族の習慣に従い結婚することが決まりましたがそれを拒み、1976年正式に洗礼を受け「カテリ(カタリナ)」と名乗ります。
それが部族から大きな敵意を抱かれ、叔母らの虐待を受けましたが、彼女は逃亡を決心し、イエズス会がセントローレンス川沿いに建設した「祈りの家」まで必死に逃げました。
「祈りの家」はキリスト教信者となったイロコイ族が生活を送る場所で、ここで彼女は祈り、悔い改めの実践、病人や老人の世話に専念した生活を送っていました。
彼女は1680年4月17日、24歳で亡くなりました。
生きていた年代:1656年 - 1680年4月17日
祝日:4月17日
守護分野:生態学 / 生態学者 / 環境保護 / 自然環境 / 孤児 / 亡命者 / 敬虔さの為に嘲笑された人々
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《メダイ》
聖カテリ・テカクウィタ 20×15mm
《十字架》
イエス キリスト 10×12mm
《サイズ》
40cm + アジャスター5cm
atelier †Leda†
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アメリカ先住民初の聖人で、虐待にも耐え信仰を持ち続けた聖カテリ・テカクウィタのメダイネックレスです✧*。
† 聖カテリ・テカクウィタ(St. Kateri Tekakwitha)
カテリ・テカクウィタは1656年モホーク族の酋長と捕虜として連れてこられた部族の娘マリアの娘としてにニューヨーク州オーリーズビルの町の近くで生まれました。
母マリアは幼少時フランス人開拓者に引き取られた孤児で、キリスト教の洗礼を受けていました。
父はモホーク族の中で最高の地位にあり、テカクウィタは母からキリスト教を教わりました。
テカクウィタの父はキリスト教を快く思わず、娘から遠ざけようとしました。
1659年彼女が3歳の頃、天然痘が流行し、1660年両親と弟が病没、テカクウィタも感染し彼女の顔を変貌させましたが、母の友人の献身な看護で回復し、父の妹夫婦に引き取られ養女となりました。
叔母夫婦の下でモホーク族の生活習慣を身に付けたテカクウィタは、11歳の頃初めて宣教師と出会いキリスト教に傾倒しました。1673年17歳となったテカクウィタは、部族の習慣に従い結婚することが決まりましたがそれを拒み、1976年正式に洗礼を受け「カテリ(カタリナ)」と名乗ります。
それが部族から大きな敵意を抱かれ、叔母らの虐待を受けましたが、彼女は逃亡を決心し、イエズス会がセントローレンス川沿いに建設した「祈りの家」まで必死に逃げました。
「祈りの家」はキリスト教信者となったイロコイ族が生活を送る場所で、ここで彼女は祈り、悔い改めの実践、病人や老人の世話に専念した生活を送っていました。
彼女は1680年4月17日、24歳で亡くなりました。
生きていた年代:1656年 - 1680年4月17日
祝日:4月17日
守護分野:生態学 / 生態学者 / 環境保護 / 自然環境 / 孤児 / 亡命者 / 敬虔さの為に嘲笑された人々
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《メダイ》
聖カテリ・テカクウィタ 20×15mm
《十字架》
イエス キリスト 10×12mm
《サイズ》
40cm + アジャスター5cm
atelier †Leda†