初代奥田木白 白釉茶碗
赤膚焼 茶碗
印銘 赤膚山 木白
サイズ:口径12cm、高さ8.3cm
奥田木白:1799-1871年
大和国郡山城下(現奈良県大和郡山市)の堺町で生まれる。幼名は亀松といい、名を佐兵衛、のちに武兵衛と改めた。奥田家は堺町で郡山藩御用小間物商「柏屋」を営んでおり、木白は平素から茶を嗜み、楽焼などを焼いて楽しんでいたが、後に家業をやめて、陶工になった。木白という名前は、屋号であった「柏屋」の「柏」を二つに分けて称した名前で、別号には木々斉、五行庵などがある。
「仁清写し」「里恭写し」などが得意で、また「奈良絵風」のものや、一刀彫の味を陶器で写すことにも励んだ。木白や息子の二代木白の残した業績は大変に大きく、地方窯であった赤膚焼を、芸術性ある名陶として、広く世に知らしめた。
器ごとに「赤膚山」「木白」の印を捺している。
初代奥田木白 白釉茶碗
赤膚焼 茶碗
印銘 赤膚山 木白
サイズ:口径12cm、高さ8.3cm
奥田木白:1799-1871年
大和国郡山城下(現奈良県大和郡山市)の堺町で生まれる。幼名は亀松といい、名を佐兵衛、のちに武兵衛と改めた。奥田家は堺町で郡山藩御用小間物商「柏屋」を営んでおり、木白は平素から茶を嗜み、楽焼などを焼いて楽しんでいたが、後に家業をやめて、陶工になった。木白という名前は、屋号であった「柏屋」の「柏」を二つに分けて称した名前で、別号には木々斉、五行庵などがある。
「仁清写し」「里恭写し」などが得意で、また「奈良絵風」のものや、一刀彫の味を陶器で写すことにも励んだ。木白や息子の二代木白の残した業績は大変に大きく、地方窯であった赤膚焼を、芸術性ある名陶として、広く世に知らしめた。
器ごとに「赤膚山」「木白」の印を捺している。