ハンドメイドマーケット minne(ミンネ)
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邪馬台国の女王、卑弥呼 2~3世紀頃の日本は「倭」と呼ばれていました。 大陸から伝えられた稲作が伝えられ、普及するようになると安定した食糧確保が可能になります。 しかし、その一方で稲作に必要な土地や水を巡って戦乱が絶えなくなりした。 争いに勝ったムラが負けたムラを吸収し大きくなり、 やがて身分制度や社会制度を持つクニが出現します。 当時の倭には100程のクニがあり、戦乱がつづいていましたが、 そのうちの30程のクニが連合になり支配者を立てることにしました。 その連合の中心が邪馬台国です。 はじめは男王が支配者にしましたが争いが絶えず、混乱状態に陥ったため男王を廃し、 少女だった卑弥呼を女王として擁立しました。 すると、争いが収まりクニとしてまとまるようになりました。 卑弥呼の政治 占い 卑弥呼の宮殿にはつねに兵が守り、1000人程の侍女が仕えていました。 卑弥呼は「鬼道」と呼ばれる、占いを使ってクニを収めました。 女王になって以来、卑弥呼は人目に触れることなく、宮殿に篭って占いをしました。 卑弥呼の弟が、人々に占いを伝えるなど、政治を助けて国を治めました。 魏と国交を結ぶ 239年に卑弥呼は魏(当時の中国)に使者を派遣します。 魏に貢物をし、代わりに魏から「親魏倭王しんぎわおう」の金印と銅鏡100枚を与えられました。 これは、魏が卑弥呼を倭の支配者と認め、後ろ盾になったことを意味します。 各地の王の墓から銅鏡が発見されており、卑弥呼が魏との繋がりを示す為に 配ったとものではないかと推測されています。 239年以降も魏に度々使者を派遣しており、247年の狗奴国との争いも魏に報告しています。 倭の連合の様子 邪馬台国を中心とした倭の連合は、身分制度や法制度、税制度が整えられており、 各地で市場が開かれ、他国との交易も盛んに行われていました。 卑弥呼の死後 卑弥呼が亡くなると、男王を立てますが再び争いが起こりました。 そのため、卑弥呼の親戚である壱与(いよ)を女王にたてると、争いが収まりました。 卑弥呼や邪馬台国のエピソード 邪馬台国の場所については未だに解明されていません。 「魏志倭人伝」に邪馬台国の行き方が記されていますが それの通りに進むと、太平洋のど真ん中にたどり着いてしまいます。 現在、邪馬台国の場所として有力なのは北九州と近畿です。 北九州には吉野ヶ里遺跡、近畿には纏向遺跡や箸墓古墳など、 それぞれ有力な遺跡が存在しますが、 決定打になる証拠はまだ見つかっていません。 卑弥呼は天照大神のモデル? ・卑弥呼は、実は日御子ひみこ(日巫女ひみこ) ・太陽を司る巫女で、太陽神である天照大神という共通点 ・卑弥呼が亡くなる直前に、皆既日食が二回起こったことが確認されていて  有名な「天あまの岩戸」のエピソードになったのではないか というのがこの説の根拠になっています。 「天あまの岩戸」とは? 「日食」をモチーフにした神話です。 太陽の神様である天照大御神が、弟神の須佐之男命(すさのうのみこと)の悪行に心を痛め 天岩屋(あまいわや)に籠こもってしまわれるという物語です。 太陽の神様である天照大御神がお隠れになったので辺りは夜のように真っ暗になってしまい、 八百万(やおよろず)の神々は、みんな困ってしまわれたのです。 卑弥呼も邪馬台国も謎が多く、ヤマト政権とのつながりもわかっていません。 これから、遺跡が発掘されて、真実が解明されるのか、楽しみですね。
邪馬台国の女王、卑弥呼 2~3世紀頃の日本は「倭」と呼ばれていました。 大陸から伝えられた稲作が伝えられ、普及するようになると安定した食糧確保が可能になります。 しかし、その一方で稲作に必要な土地や水を巡って戦乱が絶えなくなりした。 争いに勝ったムラが負けたムラを吸収し大きくなり、 やがて身分制度や社会制度を持つクニが出現します。 当時の倭には100程のクニがあり、戦乱がつづいていましたが、 そのうちの30程のクニが連合になり支配者を立てることにしました。 その連合の中心が邪馬台国です。 はじめは男王が支配者にしましたが争いが絶えず、混乱状態に陥ったため男王を廃し、 少女だった卑弥呼を女王として擁立しました。 すると、争いが収まりクニとしてまとまるようになりました。 卑弥呼の政治 占い 卑弥呼の宮殿にはつねに兵が守り、1000人程の侍女が仕えていました。 卑弥呼は「鬼道」と呼ばれる、占いを使ってクニを収めました。 女王になって以来、卑弥呼は人目に触れることなく、宮殿に篭って占いをしました。 卑弥呼の弟が、人々に占いを伝えるなど、政治を助けて国を治めました。 魏と国交を結ぶ 239年に卑弥呼は魏(当時の中国)に使者を派遣します。 魏に貢物をし、代わりに魏から「親魏倭王しんぎわおう」の金印と銅鏡100枚を与えられました。 これは、魏が卑弥呼を倭の支配者と認め、後ろ盾になったことを意味します。 各地の王の墓から銅鏡が発見されており、卑弥呼が魏との繋がりを示す為に 配ったとものではないかと推測されています。 239年以降も魏に度々使者を派遣しており、247年の狗奴国との争いも魏に報告しています。 倭の連合の様子 邪馬台国を中心とした倭の連合は、身分制度や法制度、税制度が整えられており、 各地で市場が開かれ、他国との交易も盛んに行われていました。 卑弥呼の死後 卑弥呼が亡くなると、男王を立てますが再び争いが起こりました。 そのため、卑弥呼の親戚である壱与(いよ)を女王にたてると、争いが収まりました。 卑弥呼や邪馬台国のエピソード 邪馬台国の場所については未だに解明されていません。 「魏志倭人伝」に邪馬台国の行き方が記されていますが それの通りに進むと、太平洋のど真ん中にたどり着いてしまいます。 現在、邪馬台国の場所として有力なのは北九州と近畿です。 北九州には吉野ヶ里遺跡、近畿には纏向遺跡や箸墓古墳など、 それぞれ有力な遺跡が存在しますが、 決定打になる証拠はまだ見つかっていません。 卑弥呼は天照大神のモデル? ・卑弥呼は、実は日御子ひみこ(日巫女ひみこ) ・太陽を司る巫女で、太陽神である天照大神という共通点 ・卑弥呼が亡くなる直前に、皆既日食が二回起こったことが確認されていて  有名な「天あまの岩戸」のエピソードになったのではないか というのがこの説の根拠になっています。 「天あまの岩戸」とは? 「日食」をモチーフにした神話です。 太陽の神様である天照大御神が、弟神の須佐之男命(すさのうのみこと)の悪行に心を痛め 天岩屋(あまいわや)に籠こもってしまわれるという物語です。 太陽の神様である天照大御神がお隠れになったので辺りは夜のように真っ暗になってしまい、 八百万(やおよろず)の神々は、みんな困ってしまわれたのです。 卑弥呼も邪馬台国も謎が多く、ヤマト政権とのつながりもわかっていません。 これから、遺跡が発掘されて、真実が解明されるのか、楽しみですね。
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    HAPPY HALLOWEEN 2023

    作家・ブランドのレビュー 星5
    届きました。思った通り やっぱりとっても可愛いいです。 おまけも有り難うこざいました。
    2024年10月1日
    by oosu2641
    スタジオ一馬力さんのショップ
    スタジオ一馬力からの返信
    早速のレビューありがとうございます! 😊喜んでいただけてよかったです!
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    今日を何でもない日にするか かけがえのない日にするか あなた次第

    作家・ブランドのレビュー 星5
    夏バテには、エナジードリンクよりもヘルシーなスタジオ一馬力さんの作品で起死回生!! 呼吸を忘れて固まっている時、深呼吸ができる作品、ツライよ〜って心が悲鳴を上げている時、そっと傍らに寄り添う作品、さまざまな作品の中から今回は、背中をバンッて叩いてくれるのを見つけました 😊
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    2024年8月26日
    by ayakasi2017
    スタジオ一馬力さんのショップ
    スタジオ一馬力からの返信
    いつもながら感心させられる機知に富んだレビュー!この才能があったら作品に生かせるのに!ありがとうございます! 😊
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    KEEP GOING FORWARD

    作家・ブランドのレビュー 星5
    いつも可愛いくて素敵な作品をありがとうございます! 作品についての格言などの説明を読むのも楽しみとなっています。 (*^^*) オマケも、オマケと言いますか、そのまま大切な作品をプレゼントにして下さって、本当に嬉しいです! また楽しみにしています!(❁ᴗ͈ˬᴗ͈) この度もありがとうございました!(^^)
    2024年7月4日
    by pikochan419
    スタジオ一馬力さんのショップ
    スタジオ一馬力からの返信
    かわいい絵文字のレビューありがとうございます! 😊これからも喜んでもらえるような作品を作りたいものです!
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