直径7cm×高さ5cm
こちらの商品は歴史的な背景を色濃くお伝えしたく長文となりますが、お付き合いください。
昭和15年7月7日に実施された「奢侈品等製造販売制限規則/七・七禁令」をご存知でしょうか?
「贅沢は敵だ」のスローガンをお聞きになれば日本国で育ち、教育を受けた方々でしたらお分かりになるかと思います。
禁令を機に食物・装飾・芸能・芸術と凡ゆるジャンルへの検閲が強化された年でした。
戦火の日本国内では様々な表現を禁止されていた歴史があり芸術・美術の分野にもその波は色濃く及んでおりました。
その後「贅沢」という言葉さえ消えた日本では昭和17年に「欲しがりません勝つまでは」と戦争の泥沼化を最も庶民に伝わる言葉として広がり、戦時中の生活はどこの家庭も逼迫していたのを念頭にご一読ください。
色・柄を禁止されたその当時はもんぺ姿と軍服、食器に関しても戦場に向かう兵士が掲げるのは白い盃であり、当方で扱う品々でいう塗りの盃や九谷や伊万里等の風情がある器は用いられておりませんでした。
菊花紋が入った盃で乾杯を捧げる場面もございますが、殆どの方が白い無地の「磁器」の盃を片手に健闘を祈り戦場に向かいました。
その頃に作られた白い無地の「磁器」が大量に当方へ入荷したのは今から10年以上前です。
当方では「古美術」と称しているので100年以上前に作られた物で財産価値のある品物を扱うことをモットーにしており、入荷した当時も店頭には並べずに保管しておりました。
しかし、段々と時代が変わり「アンティーク」「レトロ」「ヴィンテージ」「モダン」といったジャンルが世間に広がり、定義としてアンティークと称するものは作られてから50年と定めており、そうなると戦時中もアンティークに属するのは重々承知の上で保管しておりました。
表に出さなかったのは時を見ていた訳ではなく『美術』という目線で物を見た際に、それは本当に美しいのか?という疑問と、お客様が所有した上で財産価値が保てる商品であるのか?の目線から少々迷っておりました。
そのうちアメリカやヨーロッパの美術館から戦時中の日本の物が欲しいというご依頼もあり、その時に悩み抜いた結果、日本国内の歴史であり生活に根付いた物は他国にはお譲りしないと決めてお断り申し上げておりました。
当時の日本を他国から見た場合と日本国内から見た場合とでは捉え方の違いが生じる上に当時の日本は決して美しい物と言える物は生産されておらず、そこが根本にあり、粗末とは言いませんが簡素化された器やその他の物をどのように扱われるのかを焦点に判断しておりました。
結局「気持ち」や「精神」の部分を重んじすぎて保管品が増える一方で、見渡すと同業他社は次々と古刀(最も古い日本刀剣)を海外に販売する時代となっており、海外には日本刀剣のメンテナンスを行う研師が存在しない部分も踏まえて未だに懸念している最中です。
話を戻します。
ご覧の商品はそんな時代に作られた物です。
質素な造りが時代を物語っております。
磁器ですので伊万里や九谷で製造されたのでしょう。
絵付けを行う職人もいたでしょうし兵隊として戦地へ向かっていたのかもしれません。
本来でしたら明治〜大正時代までの器を見ると十分に優れた物を作れる技術を持った日本でしたが戦中は全てストップとなり、その技術もまた途絶えた窯も多かったと想像出来ます。
そんな中、手元にこのまま置いておくにも時代を伝えなくてはならないと考え
『色・柄』もっと言えば『贅沢』が禁じられていた時代の物ですから、それらをそのまま販売しても味気ないような気分になり、数年前から一部の常連さん向けに「キャンドル」として販売(実際は歴史を重んじている青年も含め)譲渡しておりました。
少しでも暗い時代の物に『明るさ』をプラスして。との想いから考えました。
ロウと同じ色味の和紙(越前)を桜の形にカットして蝋に入れました。
火を灯すとうっすらと浮かび上がります。
まだ手元にご覧の数だけご用意ございます。
火を灯して使い終わったら少し温めてティッシュで蝋を拭ってください。
すると白い器となります。
火傷に注意してください。
白い器となりましたら別売りの「とんぼ玉」を添えてお香立てとしてご使用ください。
色・柄をお選びいただけるように個別販売としております。
器ととんぼ玉を合わせてご注文いただけましたら幸いです。
直径7cm×高さ5cm
こちらの商品は歴史的な背景を色濃くお伝えしたく長文となりますが、お付き合いください。
昭和15年7月7日に実施された「奢侈品等製造販売制限規則/七・七禁令」をご存知でしょうか?
「贅沢は敵だ」のスローガンをお聞きになれば日本国で育ち、教育を受けた方々でしたらお分かりになるかと思います。
禁令を機に食物・装飾・芸能・芸術と凡ゆるジャンルへの検閲が強化された年でした。
戦火の日本国内では様々な表現を禁止されていた歴史があり芸術・美術の分野にもその波は色濃く及んでおりました。
その後「贅沢」という言葉さえ消えた日本では昭和17年に「欲しがりません勝つまでは」と戦争の泥沼化を最も庶民に伝わる言葉として広がり、戦時中の生活はどこの家庭も逼迫していたのを念頭にご一読ください。
色・柄を禁止されたその当時はもんぺ姿と軍服、食器に関しても戦場に向かう兵士が掲げるのは白い盃であり、当方で扱う品々でいう塗りの盃や九谷や伊万里等の風情がある器は用いられておりませんでした。
菊花紋が入った盃で乾杯を捧げる場面もございますが、殆どの方が白い無地の「磁器」の盃を片手に健闘を祈り戦場に向かいました。
その頃に作られた白い無地の「磁器」が大量に当方へ入荷したのは今から10年以上前です。
当方では「古美術」と称しているので100年以上前に作られた物で財産価値のある品物を扱うことをモットーにしており、入荷した当時も店頭には並べずに保管しておりました。
しかし、段々と時代が変わり「アンティーク」「レトロ」「ヴィンテージ」「モダン」といったジャンルが世間に広がり、定義としてアンティークと称するものは作られてから50年と定めており、そうなると戦時中もアンティークに属するのは重々承知の上で保管しておりました。
表に出さなかったのは時を見ていた訳ではなく『美術』という目線で物を見た際に、それは本当に美しいのか?という疑問と、お客様が所有した上で財産価値が保てる商品であるのか?の目線から少々迷っておりました。
そのうちアメリカやヨーロッパの美術館から戦時中の日本の物が欲しいというご依頼もあり、その時に悩み抜いた結果、日本国内の歴史であり生活に根付いた物は他国にはお譲りしないと決めてお断り申し上げておりました。
当時の日本を他国から見た場合と日本国内から見た場合とでは捉え方の違いが生じる上に当時の日本は決して美しい物と言える物は生産されておらず、そこが根本にあり、粗末とは言いませんが簡素化された器やその他の物をどのように扱われるのかを焦点に判断しておりました。
結局「気持ち」や「精神」の部分を重んじすぎて保管品が増える一方で、見渡すと同業他社は次々と古刀(最も古い日本刀剣)を海外に販売する時代となっており、海外には日本刀剣のメンテナンスを行う研師が存在しない部分も踏まえて未だに懸念している最中です。
話を戻します。
ご覧の商品はそんな時代に作られた物です。
質素な造りが時代を物語っております。
磁器ですので伊万里や九谷で製造されたのでしょう。
絵付けを行う職人もいたでしょうし兵隊として戦地へ向かっていたのかもしれません。
本来でしたら明治〜大正時代までの器を見ると十分に優れた物を作れる技術を持った日本でしたが戦中は全てストップとなり、その技術もまた途絶えた窯も多かったと想像出来ます。
そんな中、手元にこのまま置いておくにも時代を伝えなくてはならないと考え
『色・柄』もっと言えば『贅沢』が禁じられていた時代の物ですから、それらをそのまま販売しても味気ないような気分になり、数年前から一部の常連さん向けに「キャンドル」として販売(実際は歴史を重んじている青年も含め)譲渡しておりました。
少しでも暗い時代の物に『明るさ』をプラスして。との想いから考えました。
ロウと同じ色味の和紙(越前)を桜の形にカットして蝋に入れました。
火を灯すとうっすらと浮かび上がります。
まだ手元にご覧の数だけご用意ございます。
火を灯して使い終わったら少し温めてティッシュで蝋を拭ってください。
すると白い器となります。
火傷に注意してください。
白い器となりましたら別売りの「とんぼ玉」を添えてお香立てとしてご使用ください。
色・柄をお選びいただけるように個別販売としております。
器ととんぼ玉を合わせてご注文いただけましたら幸いです。