初めまして、Jardinetです。

初めまして、Jardinetです。

こんにちは!こんばんは! 初めて『レター』を書いてみよう!と思い立ったのですが、何を書いてよいのかわからない…。やはり最初は自己紹介からということで、どうして私が今作家活動をしているのかをつらつらと書き綴ってみました。 とても長くなってしまったので、お暇な時にでも読んでくださると嬉しいです。 私は小さな頃から物作りが好きでした。 それは亡くなった母の影響が大きいと思います。 私が幼稚園児の頃、それはそれは沢山のフリルがたっぷり三段重なったスカートを作って貰いました。色違いで何枚も。毎日幼稚園にそのスカートを履いて同じ生地を使ったリボンを頭につけて通っていました。 気分は正しくお姫様でした(笑) 母はなんでも作ってくれる人でした。 当時大好きだったジェニーちゃんのお洋服も、手提げ袋も、カーテンも、鍋敷も。 そんな私が物作りに興味を持つのは当たり前の事だったのでしょう。最初はビーズのキーホルダー、それからこれまた当時流行っていたミサンガを大量生産していました。 三年生の時に「ゴミ袋で服を作る」という授業がありました。皆が被るだけのワンピースタイプの服を作る中、私は一人ズボンを作っていました。もちろん上も別々に作りましたよ、きちんと着脱可能でした。それが先生にとても誉められて凄く嬉しかった事を今でも良く覚えています。 それから次第に服作りに興味を持ち始め、ミシンで簡単なスカートを作ったりしました。そのうちに編み物を覚え、5年生の時に初めて一人で完成させたマフラーは今でも大事に取ってあります。 高校は服飾の道を選びました。というか、それ以外に全く興味がなかったのです。その時からすでに「私は一生物作りをして生きて行くんだ」と信じて疑いませんでした。 卒業後、私はジュエリーの道に進みました。当時、空前のシルバーアクセサリーブームだったのです(笑) 服作りはもちろん楽しかったのですが、浴衣からスーツ、ウェディングドレスまで作り、大きな舞台のファッションショーを経験させてもらったことで満足してしまい「もっと他の物も作ってみたいな」と思ってしまったのです。 学校は渋谷と原宿の真ん中にあり、毎日がとても刺激的でした。 ジュエリーの基礎を学び、他にもレザー細工やとんぼ玉制作まで学びました。自分のブランドを立ち上げようと精力的に活動する同級生達とグループ展を開いたりしました。 だけど、どこか納得していない自分が居たのです。私の本当にやりたいことはなんなのか、よくわからないまま卒業が迫っていました。友達は就職先を決めたり、地方の実家に帰る準備をしていました。日本の宝飾品業界はとても狭いです。就職もかなりの狭き門で、とてもじゃないけれど自分の希望する職種につける状態ではありませんでした。 そんな時、学校の就職課で一枚の張り紙を見つけました。 それはタイでの研修制度のお知らせでした。 私は卒業研修旅行がタイのバンコクだったのですが、その時見学させてもらったシルバーアクセサリーのメーカーが日本人スタッフが退職するため代わりの人を探していると言うのです。 私はすぐにその研修に申し込みました。定員は二人だったのですが、面接で「どうしても行きたい!」とごねまくり、なんとかその座をもぎ取りました。(もう一人は直前で辞退し、結局一人で行くことになりましたが) タイでは沢山の事を学びました。言葉も通じなければ、日本の常識も通じません。本当に苦労しました。 でも何よりも日本では絶対経験できない沢山のことが面白くてしょうがありませんでした。 タイ・バンコクは世界一の宝石の集散国と言われています。世界中の宝石がここに集まり、加工され、また世界中に散って行くのです。 宝石がぐっと身近なものに感じられました。 いくらジュエリーの学校に通っていても、そんなに沢山の宝石に出会う機会はあまりありません。国際宝飾展(ジュエリーショー)へ言っても、学生ではなかなか手を出せるものは売っていないし、業者は基本小売りはやっていません。何よりも日本国内へは、あまり大粒の石は入ってこないのです。 バンコクでの暮らしはとても貴重なものでした。仕事柄、数千万円もする高価な宝石にも触れましたし、自分でデザインしたものを沢山商品化することができました。 そして、毎日何百個と宝石を手にしていて思ったのは「沢山の人に宝石を身近に感じてもらいたい」ということでした。その漠然とした想いは、宝石商である主人と結婚し「自分は一生宝石に関わっていくんだな」と思った時に明確な目標に変わりました。 宝石はとても魅力的なものです。美しい石は何時間でも眺めていられます。 スピリチュアルなことはよくわかりませんが、やっぱり人間が惹き付けられる何か凄いパワーが秘められているのだと思います。 だって何百年も何千年もかけて自然が作り出したモノなんですから。 〔宝石=高いもの〕として敬遠しがちな人にこそ、実際に手に取って宝石の魅力を感じて欲しい。 だからこそ、できるだけリーズナブルなお値段で本物の宝石を手にしてもらうというコンセプトの元、現在の作家活動を始めました。 そしてもうひとつのコンセプトは、「ものづくりを楽しむ」ということ。これは最早人生の目標かもしれません。 今現在、私には三人の娘がいます。 長女はサンタさんにプレゼントしてもらったミシンで毎日何かを作っていますし、次女は今レジンにはまっているよう。三女は折り紙を切ったり貼ったり毎日とても忙しそうです。(掃除が大変) 私が母から受け継いだ「ものづくり」の血はしっかりと受け継がれているようです。 きっと私は死ぬまで毎日、何かを作り続けて生きていくのだと思います。 2021年 5月

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ジュエリーデザイナー

jardinet by emi tonegawa
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