木製です!
タイトルの読み方は「いちじつなさざれば いちじつくらわず」です。
聖書にも「働かざる者食うべからず」という似たような表現がありますが、
これは禅語です。
百丈禅師は高齢になっても毎日畑仕事に精をだしていたという。
ただ、その周囲で一緒に畑仕事をしていた若い雲水たちは相当に気を揉んでいた。
高齢にも関わらず張り切りすぎて体調を崩されたらどうしよう。
怪我でもされたらどうしよう。
どうかお部屋で休んでいてもらえないものか、
そんなことを思い悩んでいたのだった。
そこで雲水たちは一計を案じ、ある日、鍬などの農具をすべて隠すことにした。
農具がなければ畑仕事はできない。そしたらお師匠さまはお部屋へと戻るに違いない。
そんな雲水たちの思惑は、見事に的中。
どこを探しても鍬が見つからないものだから、百丈禅師はその日、
畑仕事をせずに部屋へと戻っていたのであった。
これでもう大丈夫だ。お師匠さまが怪我をされることもなくなった。
胸をなで下ろした雲水らであったが、それも束の間のことだった。
食事の時間がやってきて、さて、いただきますとなったはいいのだが、
百丈禅師が一向に箸を手に取らない。
どうしたのかと心配になって雲水が訊ねたところ、百丈禅師はこう言った。
「一日作さざれば一日食らわず」
今日は畑仕事をすることができなかった。
自分には成すべきことがあり、またそれを成すだけの力も残されているのに、
それを全うすることができなかった。
だから食事をいただくことはできない。
食事をいただくに値するだけの行いをまだしていない。
そう言うのである。
このことがあって以降、雲水らは二度と農具を隠すような
浅慮(せんりょ)な行いはしなくなったという。
こうして生まれた「一日作さざれば一日食らわず」の禅語は、
今や禅における格言の1つとして重宝されている。
「自分がやるべきことを自分でやる」
それ以上に大切なことはないのであって、特別な修行などというものもない。
自分への甘さについては、引けを取らない自信があります。(こまったものですが)
ところで、作品とタイトルとどうつながるの?ですが、
毎日祈ることは無数にあるものの、「今日の自分のやるべきことがちゃんとできまように」
と祈っている姿を作りました。
木製です!
タイトルの読み方は「いちじつなさざれば いちじつくらわず」です。
聖書にも「働かざる者食うべからず」という似たような表現がありますが、
これは禅語です。
百丈禅師は高齢になっても毎日畑仕事に精をだしていたという。
ただ、その周囲で一緒に畑仕事をしていた若い雲水たちは相当に気を揉んでいた。
高齢にも関わらず張り切りすぎて体調を崩されたらどうしよう。
怪我でもされたらどうしよう。
どうかお部屋で休んでいてもらえないものか、
そんなことを思い悩んでいたのだった。
そこで雲水たちは一計を案じ、ある日、鍬などの農具をすべて隠すことにした。
農具がなければ畑仕事はできない。そしたらお師匠さまはお部屋へと戻るに違いない。
そんな雲水たちの思惑は、見事に的中。
どこを探しても鍬が見つからないものだから、百丈禅師はその日、
畑仕事をせずに部屋へと戻っていたのであった。
これでもう大丈夫だ。お師匠さまが怪我をされることもなくなった。
胸をなで下ろした雲水らであったが、それも束の間のことだった。
食事の時間がやってきて、さて、いただきますとなったはいいのだが、
百丈禅師が一向に箸を手に取らない。
どうしたのかと心配になって雲水が訊ねたところ、百丈禅師はこう言った。
「一日作さざれば一日食らわず」
今日は畑仕事をすることができなかった。
自分には成すべきことがあり、またそれを成すだけの力も残されているのに、
それを全うすることができなかった。
だから食事をいただくことはできない。
食事をいただくに値するだけの行いをまだしていない。
そう言うのである。
このことがあって以降、雲水らは二度と農具を隠すような
浅慮(せんりょ)な行いはしなくなったという。
こうして生まれた「一日作さざれば一日食らわず」の禅語は、
今や禅における格言の1つとして重宝されている。
「自分がやるべきことを自分でやる」
それ以上に大切なことはないのであって、特別な修行などというものもない。
自分への甘さについては、引けを取らない自信があります。(こまったものですが)
ところで、作品とタイトルとどうつながるの?ですが、
毎日祈ることは無数にあるものの、「今日の自分のやるべきことがちゃんとできまように」
と祈っている姿を作りました。