こちらの品は、発送までに10日前後のお時間をいただいております、ご了承の上ご注文くださいませ。
「詩集」春と修羅/第一集/上下巻組-宮沢賢治
<スリップケース入り>
--*--*--*--*--*--
著者:宮沢賢治
本体サイズ:約H53×W45×D18mm
ケース入りサイズ:H57×W48×D20mm
本 文:書籍用紙にレーザープリント
頁 数:上巻189頁:下巻189頁
表 紙:カラー印刷(レーザープリンター)のカバー仕様
内側の表紙はろうけつレザック用紙/緑
ケース:カラー印刷(レーザープリンター)のカバー仕様
製 本:糸綴じ/ハードカバー/丸背
--*--*--*--*--*--
【概要】
『春と修羅』(はるとしゅら)は、宮沢賢治の制作した口語詩。また、同作品を収録した詩集のタイトルでもある。賢治の生前に唯一刊行された詩集として知られる。賢治はそれに続いて制作した作品にも同じタイトルを付けて詩集として続刊することを企図していた。(それぞれ『春と修羅 第二集』『春と修羅 第三集』)
69編の作品と、「序」(これを作品と見なすと70編)からなる詩集。1922 - 23年に制作された作品が収録されている。
1924年(大正13年)4月20日、東京の関根書店から刊行。ただし事実上は賢治の自費出版である(実際の印刷は賢治の住んでいた花巻川口町の印刷所で行われた)。正確なタイトルは『心象スケツチ 春と修羅』で、賢治自身は「詩集」と呼ばれることを好まなかった。タイトルには第一集とはつかないが、その後の第二集・第三集から遡って(区別するために)第一集とも呼ばれる。
詩の多くは「心象スケッチ」と賢治自身が名付けた手法によって書かれ、時間の経過に伴う内面の変容、さらにその内面を外から見る別の視点が取り込まれている。この「心象スケッチ」の手法については、ウィリアム・ジェームズが唱えた「意識の流れ」との関連が指摘されている(賢治は『春と修羅 第二集』の詩「林学生」にジェームズの名を書き残しており、著書を読んだ可能性が研究者から言及されている)。
刊行当時、辻潤が読売新聞に連載していたコラムで激賞、佐藤惣之助も詩誌で評価するコメントを付した。背文字を書いた尾山篤二郎も主催する短歌雑誌『自然』の中で賞賛する紹介をしている。しかし当時の世間一般には受け入れられず、大半が売れ残ってしまい、結局賢治が自ら相当の部数を引き取ることになった。引き取った『春と修羅』を岩波書店の学術書と交換するよう依頼する内容の岩波茂雄宛書簡も発見されている。
とはいえ、中原中也や富永太郎といった詩人も強い影響を受けたことが判明している。さらに、中国に留学していた草野心平は『春と修羅』を読んで「瞠目」し、日本に帰国後に創刊した詩誌『銅鑼』に賢治を同人として誘った。草野は賢治の存命中から没後にかけてその作品の紹介に大きな役割を果たすことになるため、この出会いは結果的にきわめて大きな意味を持つ。
また、地元の岩手県の詩壇においてはこの『春と修羅』によって賢治は一定の評価を受けることとなった。その中で地元詩人との交友も発生し、旧制盛岡中学校の後輩(当時在学中)であった森荘已池と知り合うこととなる。
2019年時点で現存する初版本は30部程度とされている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より
本文は糸で綴じてあり背は丸背ですので、開きやすく丈夫な上製本豆本です。
よほど手荒に扱わない限り、壊れることはほとんどありませんので、安心して180度開いてお読みになれます。
綴じから組み立てまですべて手作業にて丁寧に製作しております。
乱丁・落丁はお取替え致します。
※緋珠璃庵の豆本の本文データは青空文庫で公開されている著作権の切れた作品ファイルデータを使用させていただいております。
豆本を販売するにあたり「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」(青空文庫のファイルは、有償・無償であるかを問わず、自由に複製・再配布・共有することができます。)に従い、作品の著者、翻訳者、データ入力者に敬意を持って文学作品の豆本化をしています。
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「詩集」春と修羅/第一集/上下巻組-宮沢賢治
<スリップケース入り>
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著者:宮沢賢治
本体サイズ:約H53×W45×D18mm
ケース入りサイズ:H57×W48×D20mm
本 文:書籍用紙にレーザープリント
頁 数:上巻189頁:下巻189頁
表 紙:カラー印刷(レーザープリンター)のカバー仕様
内側の表紙はろうけつレザック用紙/緑
ケース:カラー印刷(レーザープリンター)のカバー仕様
製 本:糸綴じ/ハードカバー/丸背
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【概要】
『春と修羅』(はるとしゅら)は、宮沢賢治の制作した口語詩。また、同作品を収録した詩集のタイトルでもある。賢治の生前に唯一刊行された詩集として知られる。賢治はそれに続いて制作した作品にも同じタイトルを付けて詩集として続刊することを企図していた。(それぞれ『春と修羅 第二集』『春と修羅 第三集』)
69編の作品と、「序」(これを作品と見なすと70編)からなる詩集。1922 - 23年に制作された作品が収録されている。
1924年(大正13年)4月20日、東京の関根書店から刊行。ただし事実上は賢治の自費出版である(実際の印刷は賢治の住んでいた花巻川口町の印刷所で行われた)。正確なタイトルは『心象スケツチ 春と修羅』で、賢治自身は「詩集」と呼ばれることを好まなかった。タイトルには第一集とはつかないが、その後の第二集・第三集から遡って(区別するために)第一集とも呼ばれる。
詩の多くは「心象スケッチ」と賢治自身が名付けた手法によって書かれ、時間の経過に伴う内面の変容、さらにその内面を外から見る別の視点が取り込まれている。この「心象スケッチ」の手法については、ウィリアム・ジェームズが唱えた「意識の流れ」との関連が指摘されている(賢治は『春と修羅 第二集』の詩「林学生」にジェームズの名を書き残しており、著書を読んだ可能性が研究者から言及されている)。
刊行当時、辻潤が読売新聞に連載していたコラムで激賞、佐藤惣之助も詩誌で評価するコメントを付した。背文字を書いた尾山篤二郎も主催する短歌雑誌『自然』の中で賞賛する紹介をしている。しかし当時の世間一般には受け入れられず、大半が売れ残ってしまい、結局賢治が自ら相当の部数を引き取ることになった。引き取った『春と修羅』を岩波書店の学術書と交換するよう依頼する内容の岩波茂雄宛書簡も発見されている。
とはいえ、中原中也や富永太郎といった詩人も強い影響を受けたことが判明している。さらに、中国に留学していた草野心平は『春と修羅』を読んで「瞠目」し、日本に帰国後に創刊した詩誌『銅鑼』に賢治を同人として誘った。草野は賢治の存命中から没後にかけてその作品の紹介に大きな役割を果たすことになるため、この出会いは結果的にきわめて大きな意味を持つ。
また、地元の岩手県の詩壇においてはこの『春と修羅』によって賢治は一定の評価を受けることとなった。その中で地元詩人との交友も発生し、旧制盛岡中学校の後輩(当時在学中)であった森荘已池と知り合うこととなる。
2019年時点で現存する初版本は30部程度とされている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より
本文は糸で綴じてあり背は丸背ですので、開きやすく丈夫な上製本豆本です。
よほど手荒に扱わない限り、壊れることはほとんどありませんので、安心して180度開いてお読みになれます。
綴じから組み立てまですべて手作業にて丁寧に製作しております。
乱丁・落丁はお取替え致します。
※緋珠璃庵の豆本の本文データは青空文庫で公開されている著作権の切れた作品ファイルデータを使用させていただいております。
豆本を販売するにあたり「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」(青空文庫のファイルは、有償・無償であるかを問わず、自由に複製・再配布・共有することができます。)に従い、作品の著者、翻訳者、データ入力者に敬意を持って文学作品の豆本化をしています。
サイズ
上下巻共ケース入りサイズ:H57×W48×D20mm
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全国一律
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