「う、う、うさぎが、北校舎のうさぎが、見当たりません、、っ!」
まだ朝露が解け切らない時刻にだけ味わえる静謐な学院長室。
その扉を慌ただしく破った副院長からうさぎの失踪について報らされた。
うううさぎがぁ、、と肩で息をする副院長に駆け寄り、「迅速な報告をありがとう」と丸い背中をさすりながら労わった。
役職が付いた大人がぜえぜえしながら報告するようなことなのか?と問われれば、答えはイエス、である。
僕は去年の春からこの学院の長だ。
ここは、月の動きや星の位置関係で未来を占う占術や、人あるいは土地を浄化する祈祷などの特殊能力を育成したり伸ばしたりする者たちが集う術学院である。
特殊なカリキュラムが置いてあるわが校では、うさぎは生徒の慈しむ心を豊かにする為ではなく、大事な局面で本校の行く末を占う為に存在している。
無論、僕の就任もこのうさぎが占った結果によるものである。
本校建立の2,600年前から代々占術師として見守ってくれていたうさぎが居なくなってしまったとなれば、様々なことが一気に危ぶまれる。ううむ、一体どうしたものか。扇形の校舎を見渡せるように設計された大きなアーチ窓に腰を掛けようとした時だった。
窓から見て南側の内庭にある池の上を小さななにかがぴょんぴょん跳ねている。慣れ親しんだあの動きを見て、まさかと息を呑んだが僕はその様子にただ目を張るだけでソファで息を整える副院長を呼ぼうと思わなかった。
ぴょーん、ぴょーん。一匹の動物が池の上でただ遊んでいるようにみえるが、それが跳ねるたびに池の水がしゃらんと氷る現象は明白な神秘であり只者ではないことがわかる。
ぴょーん、しゃらん、ぴょーん、しゃらん。
「あ、」
途端、その動きがぴたりと止んだ。こちらに背中を向けて、微動だにしない。
僕はまだ人を呼べずにいる。
こういうのなんて言うんだっけ、あ、金縛りだとやっと気づいた瞬間、池の表面を氷に変えたそのものが突然体ごとくるりとこちらを振り向いた。ターンテーブルに乗っているかのようなその動きが、先ほどの跳躍と比較するとかなり機械的で少し慄いた。
僕と目が合っているのは、やはり今朝から姿を消していたうさぎだ。僕たちは5km以上離れた場所で確実に見つめ合っていた。
なんだあんなところに居たのかと安堵する半分、もういいんじゃないかという何かを解放したいような不思議な感覚が心の中にあった。
もういいってなんだ。
何を解放したいのか本当は心の中ではわかっているような気がしてならない。その気を自覚してしまった途端、声が聞こえた。
――そなたの気持ち、有難く頂戴しよう。
性別や年齢が判別できない、鈴のようで厚みのある美声が耳元と頭の中の中間くらいで響いている。
その一言がどこで発せられたのか、副院長に咄嗟に目をやると当の本人は我知らずといった様子でハンカチで汗を拭いている。
じゃあこの声は。再びうさぎの方に視線を戻そうと慌てて窓を振り返ると、窓ガラス1枚を隔てたすぐ目の前に青白い顔をした美しい少年が立っていた。
心臓が大きく飛び跳ね、思わず声が出そうになった。学院長室は10階にあり、窓の外には欄干もない為本来そこに人が立つことなど不可能だ。もしかしてこの子は―――
目の前に佇みこちらをじっと見つめている少年は美しい弧を口元に描いた。微笑むと両頬にできる均等なえくぼが、随分と人間らしくて親近感を覚えてしまう。
何か言葉を紡ぐだろうか、と黙って様子を見ていると、少年は微笑んだまま軽くお辞儀をしてすぅっと消えてしまった。
「あっ、」
本日二度目の「あ」を発したところで、副院長が後ろから「あのぅ」と遠慮がちに声を掛けてきた。
うさぎ捜索の指示も出さず、しばらく黙りこくっていた僕を不思議に思ったのだろう。
すまないねと一言返し、その件はと続けた。
「一旦様子を見ることにしよう。」
「え?」
素っ頓狂な声が副院長の口から洩れた。
「うさぎは捜索せず、そのままで構いません。しばらく遊ばせておきましょう。」
後ろに手を組みながら、にこりと末尾に微笑みを加えると副院長は「は、はぁ・・・」と応えた。
しばらくとは言ったが僕は毛頭うさぎを探すつもりはない。もう二度とあのうさぎは北校舎には戻ってこないとわかっているから。
今までわが校の為に本当にご苦労様でした、と労いの言葉を心の中で呟くと再び耳元と頭の中の中間で声が聞こえた。
――時折、見守っていますよ。
先程とは少し違い、気まぐれで可愛らしい声だった。
「う、う、うさぎが、北校舎のうさぎが、見当たりません、、っ!」
まだ朝露が解け切らない時刻にだけ味わえる静謐な学院長室。
その扉を慌ただしく破った副院長からうさぎの失踪について報らされた。
うううさぎがぁ、、と肩で息をする副院長に駆け寄り、「迅速な報告をありがとう」と丸い背中をさすりながら労わった。
役職が付いた大人がぜえぜえしながら報告するようなことなのか?と問われれば、答えはイエス、である。
僕は去年の春からこの学院の長だ。
ここは、月の動きや星の位置関係で未来を占う占術や、人あるいは土地を浄化する祈祷などの特殊能力を育成したり伸ばしたりする者たちが集う術学院である。
特殊なカリキュラムが置いてあるわが校では、うさぎは生徒の慈しむ心を豊かにする為ではなく、大事な局面で本校の行く末を占う為に存在している。
無論、僕の就任もこのうさぎが占った結果によるものである。
本校建立の2,600年前から代々占術師として見守ってくれていたうさぎが居なくなってしまったとなれば、様々なことが一気に危ぶまれる。ううむ、一体どうしたものか。扇形の校舎を見渡せるように設計された大きなアーチ窓に腰を掛けようとした時だった。
窓から見て南側の内庭にある池の上を小さななにかがぴょんぴょん跳ねている。慣れ親しんだあの動きを見て、まさかと息を呑んだが僕はその様子にただ目を張るだけでソファで息を整える副院長を呼ぼうと思わなかった。
ぴょーん、ぴょーん。一匹の動物が池の上でただ遊んでいるようにみえるが、それが跳ねるたびに池の水がしゃらんと氷る現象は明白な神秘であり只者ではないことがわかる。
ぴょーん、しゃらん、ぴょーん、しゃらん。
「あ、」
途端、その動きがぴたりと止んだ。こちらに背中を向けて、微動だにしない。
僕はまだ人を呼べずにいる。
こういうのなんて言うんだっけ、あ、金縛りだとやっと気づいた瞬間、池の表面を氷に変えたそのものが突然体ごとくるりとこちらを振り向いた。ターンテーブルに乗っているかのようなその動きが、先ほどの跳躍と比較するとかなり機械的で少し慄いた。
僕と目が合っているのは、やはり今朝から姿を消していたうさぎだ。僕たちは5km以上離れた場所で確実に見つめ合っていた。
なんだあんなところに居たのかと安堵する半分、もういいんじゃないかという何かを解放したいような不思議な感覚が心の中にあった。
もういいってなんだ。
何を解放したいのか本当は心の中ではわかっているような気がしてならない。その気を自覚してしまった途端、声が聞こえた。
――そなたの気持ち、有難く頂戴しよう。
性別や年齢が判別できない、鈴のようで厚みのある美声が耳元と頭の中の中間くらいで響いている。
その一言がどこで発せられたのか、副院長に咄嗟に目をやると当の本人は我知らずといった様子でハンカチで汗を拭いている。
じゃあこの声は。再びうさぎの方に視線を戻そうと慌てて窓を振り返ると、窓ガラス1枚を隔てたすぐ目の前に青白い顔をした美しい少年が立っていた。
心臓が大きく飛び跳ね、思わず声が出そうになった。学院長室は10階にあり、窓の外には欄干もない為本来そこに人が立つことなど不可能だ。もしかしてこの子は―――
目の前に佇みこちらをじっと見つめている少年は美しい弧を口元に描いた。微笑むと両頬にできる均等なえくぼが、随分と人間らしくて親近感を覚えてしまう。
何か言葉を紡ぐだろうか、と黙って様子を見ていると、少年は微笑んだまま軽くお辞儀をしてすぅっと消えてしまった。
「あっ、」
本日二度目の「あ」を発したところで、副院長が後ろから「あのぅ」と遠慮がちに声を掛けてきた。
うさぎ捜索の指示も出さず、しばらく黙りこくっていた僕を不思議に思ったのだろう。
すまないねと一言返し、その件はと続けた。
「一旦様子を見ることにしよう。」
「え?」
素っ頓狂な声が副院長の口から洩れた。
「うさぎは捜索せず、そのままで構いません。しばらく遊ばせておきましょう。」
後ろに手を組みながら、にこりと末尾に微笑みを加えると副院長は「は、はぁ・・・」と応えた。
しばらくとは言ったが僕は毛頭うさぎを探すつもりはない。もう二度とあのうさぎは北校舎には戻ってこないとわかっているから。
今までわが校の為に本当にご苦労様でした、と労いの言葉を心の中で呟くと再び耳元と頭の中の中間で声が聞こえた。
――時折、見守っていますよ。
先程とは少し違い、気まぐれで可愛らしい声だった。
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耐久性と見た目の美しさに注視し、ひとつひとつ丁寧に制作しておりますが、無理に力を加えたり衝撃を与えてしまいますと破損や糸の解れに繋がる可能性がございます。
予め、ご了承くださいませ。