ハンドメイドマーケット minne(ミンネ)
通報

雨ニモ負ケソウ 風ニモ負ケソウ

300
15
木製です! ちょっとこのネコちゃん、応援したくなりませんか? ある記事より   『雨ニモマケズ』はもともとはカタカナと漢字で記載されています。 今では外来語中心に使われるカタカナですが、 戦前の日本では子供たちはカタカナ→ひらがなという順序で文字を習っていました。 この作品がカタカナなのは、賢治がこの詩を書いたのは1931年(昭和6年)と戦前なので、 カタカナに対して今より抵抗がなかった時代だったからかもしれません。 まずは、全文をわかりやすいようにひらがなと漢字に変換したものを紹介します。 雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち 欲はなく 決していからず いつも静かに笑っている 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きしわかり そして忘れず 野原の松の林の陰の 小さなかやぶきの小屋にいて 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくてもいいと言い 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い 日照りのときは涙を流し※ 寒さの夏はオロオロ歩き みんなにでくのぼうと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういう者に 私はなりたい 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋イカラズ イツモシヅカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ䕃ノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ 『雨ニモマケズ』は、1931年(昭和6年)秋、宮沢賢治が病に倒れ花巻の実家で闘病中だった際に、 使用していた黒い手帳に書かれたものです。賢治はその後、1933年(昭和8年)に亡くなっています。 この手帳は没後の1934年に遺品の革トランクから発見されました。 そして、この作品は1934年9月に「遺作(最後のノートから)」と題して、岩手日報に初めて掲載されました。 手帳にはタイトルはありません。『雨ニモマケズ』は便宜上付けられたタイトルです。 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、「本当にできるのかわからない不安定な気持ちを持ちながらも、 何かに向かって憧れ続けて、進みたいと思う人間の姿」を描いています。 自然の脅威・複雑な現実など実際には人の手に余るものは多いです。 たとえ何もできず役に立たないとしても、他の人のために何かをする、 行動する、動く、実践する、そういったことを大切にしたいとする作品だと思います。
木製です! ちょっとこのネコちゃん、応援したくなりませんか? ある記事より   『雨ニモマケズ』はもともとはカタカナと漢字で記載されています。 今では外来語中心に使われるカタカナですが、 戦前の日本では子供たちはカタカナ→ひらがなという順序で文字を習っていました。 この作品がカタカナなのは、賢治がこの詩を書いたのは1931年(昭和6年)と戦前なので、 カタカナに対して今より抵抗がなかった時代だったからかもしれません。 まずは、全文をわかりやすいようにひらがなと漢字に変換したものを紹介します。 雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち 欲はなく 決していからず いつも静かに笑っている 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きしわかり そして忘れず 野原の松の林の陰の 小さなかやぶきの小屋にいて 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくてもいいと言い 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い 日照りのときは涙を流し※ 寒さの夏はオロオロ歩き みんなにでくのぼうと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういう者に 私はなりたい 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋イカラズ イツモシヅカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ䕃ノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ 『雨ニモマケズ』は、1931年(昭和6年)秋、宮沢賢治が病に倒れ花巻の実家で闘病中だった際に、 使用していた黒い手帳に書かれたものです。賢治はその後、1933年(昭和8年)に亡くなっています。 この手帳は没後の1934年に遺品の革トランクから発見されました。 そして、この作品は1934年9月に「遺作(最後のノートから)」と題して、岩手日報に初めて掲載されました。 手帳にはタイトルはありません。『雨ニモマケズ』は便宜上付けられたタイトルです。 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、「本当にできるのかわからない不安定な気持ちを持ちながらも、 何かに向かって憧れ続けて、進みたいと思う人間の姿」を描いています。 自然の脅威・複雑な現実など実際には人の手に余るものは多いです。 たとえ何もできず役に立たないとしても、他の人のために何かをする、 行動する、動く、実践する、そういったことを大切にしたいとする作品だと思います。

サイズ

たて×よこ×高さが 2.2cm×4.7cm×3.1cmです。

発送までの目安

2日

配送方法・送料

定形(外)郵便
0追加送料0円)
全国一律

購入の際の注意点

発送は通常2日以内(土日祝日は除く)に対応させて頂きます。 お届け日時等にご指定がある場合は、購入時に備考欄へご記入ください
  • 作品画像

    雨ニモ負ケソウ 風ニモ負ケソウ

    作家・ブランドのレビュー 星5
    金太郎は一目惚れして購入しました😉 昔話の結末が分かってとても勉強になりました。 他の作品の説明文も博識な方だなぁ〜と感心しつついつも楽しく拝見しています。 ねこちゃんの雨ニモ負ケソウも可愛くて気に入りました😊 オマケもありがとうございました。
    2024年4月13日
    by 12850mmt
    スタジオ一馬力さんのショップ
    スタジオ一馬力からの返信
    あらためて、レビューのありがたさを痛感しているところです!ありがとうございました! 😊
レビューをすべて見る