教授と中国へ行った話②

教授と中国へ行った話②

(前回のあらすじ) 私が武蔵野美術大学の2年生だった頃の話。 とある授業の作文選考に漏れたことの悔しさをバネに、 詳細のわからないコンテストに応募することになったのだった。 なんだかよくわからない 「リーニンファッションアワード」 どうやら、「リーニン」とは、中国のスポーツアパレルブランドらしい。 リーニンは世界各国のファッションコースがある美大芸大に、コンテストのお知らせを配布して、応募を呼びかけているらしかった。 (「武蔵美 ファッション」で検索すると、私の出身校の詳細がわかるよ…) とりあえず研究室に行って、応募したいですと伝えると、担当の助手になんとな〜くの詳細を聞くことができた。 とりあえずその日は、 「デザイン画を描いて、◯日の✕時に研究室に来て」 とだけ言われて終わった。 約束の日時に研究室を訪れると、同じようにデザイン画を持った学生が20人… ではなく、たった2人! 私を合わせてたった3人。 1人は1学年年上の女性の先輩。 生成〜茶系のワントーンコーデをまとっていた。 もう一人は、春から武蔵美に通い始めた大学院生。 長髪をひとつに束ねたモノトーンコーデの男性だった。 もちろん二人とも初対面である。 当時の私は重度のコミュ障で、当然雑談などすることもできず、ましてや年上…。 沈黙の中、長い時間を待っていると、ようやくファッションコースの教授2人が現れた。 当時は3年生からコースに分かれるシステムだった為、2年生はだった私は教授と話すのがほぼ初めて。 ガチガチに緊張していた。 (※武蔵美の教授は、その界隈じゃかなりの有名人です。) 「ドウモ〜 ミナサン オマタセシマシタ〜」 きた! 物腰やわらかスコットランド人教授!! と、前回登場している 見た目はイケおじ、中身はおネエ教授。 2人いるけど、意外とメインで喋るのはスコットランド人の方の教授。 「アナタ ガ 描イタノ ミセテ クダサイ〜」 と言って、一人ひとり描いてきたものをチェックしていく。 私は剣道着をちょっとアレンジしたようなのを描いていった。 デザインのコンセプト(テーマ)は、伝統的なスポーツの装いを現代風にアレンジする、というもの。 「チョット コレハ アリエナイ キモチワルイ!  ダケド traditionalナ コンセプト ハ イイトオモウカラ、   モット ミライテキナ ヒョウゲンデ ヤッタラ イイデスヨネ〜」 例えばこんなふうに… とイラストを描きながら、色々とアドバイスしてくれた。 時々辛辣な言葉で否定されつつも、熱心なアドバイス。 それからも、週一ぐらいで定期的に指導してもらえて、今思えばかなりの幸運だった。 こうして、デザイン画が完成し、中国へ画像を送信。 無事に選考を通過…! (ムサビ生3人全員通過したんだけど、これって応募した人みんな通過してたんじゃないの?と思う。ていうか、たぶんそう。) 中国へ行けることになった。 旅費はリーニンより支給されるらしい。 「やったあ!なんか中国バブルのお金で中国行けるみたいだよ!」 嬉々と両親にSkypeで報告。 (当時、両親はシンガポールに住んでいたので、Skypeで連絡をとるのが日課になっていた。) 父「え゙!!学生だけで!!3人共、英語も中国語もしゃべれないんでしょ?」 超超超、心配された…。 そんなに心配されると、私も心配になるやん…。 次回、両親が研究室に国際電話! 無事に、中国へ渡れるのか?! (タイトルで盛大にネタバレしている件)
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スモッキング刺繍デザイナー

Suicoduki(スイコヅキ)
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