教授と中国へ行った話③

教授と中国へ行った話③

ーー今までのあらすじーーー 私が美大2年生の頃の話。 何やかんやあって、ファッションコンクールに応募したところ、応募者は校内にたった3人。 業界で有名人の教授たちに手厚い指導を受け、デザイン画選考を通過し、中国へいけることになったのだが…。 国際線の飛行機に殆ど乗ったことのない、世間知らずの学生3人が無事に現地にたどり着けるのか? と、通話ごしに両親からとても心配されたのだった…! ーーーーー 翌日、どうやら両親は心配で心配で仕方がなくなったようで、わざわざムサビの研究室に国際電話をしたようだった。 (※両親は当時シンガポールに住んでいた為、国際電話。) 担当してくれた助手さん、面倒くさい親でごめんなさい。 でも、この助手さんが真摯に対応してくれたおかげで、リーニン側とうまく交渉し、教授たちも一緒に中国へ行けることになった。 例のイケオジ教授から 「もぉ〜!!あなたの両親って過保護ね!!」 って嫌味を言われたけども…。 迎えた、出発の日。 始発で、国分寺駅から成田空港に向かう。 なんとかギリギリ60分前に搭乗手続きの場所へ着いた。 一緒に行く先輩2人は、それから30分後ぐらいに来た。ギリギリ過ぎてハラハラした。 たぶん2人は国際線の飛行機のときは、早めに来なくちゃいけないことを知らなかったんだと思う。 本当に3人だけで行くことにならなくて良かった、と思った。 当時の安い国際線といえば、大韓航空がユナイテッド航空だったが、 このとき初めて国際線で JAL に乗った。 めっっっちゃ快適。 そして日本人のスチュワーデスさんが居るって、なんて心強いんでしょう。 離陸前の安全ビデオも日本語。飲み物の注文も日本語。 日本語最高!!機内食も美味しい!! しかしこのとき、実はまだ服が完成してなかった。 ファッションショー形式で作品を見せなければならないのに。 飛行機の中でも手縫いで完成を目指す。 日本人のスチュワーデスさんは、どこまでも優しいんだな。 「何作ってるんですか(^^)?」 と話しかけられる。 化粧けのない、子供みたいな身長の学生(私)に優しく語りかける。  ただ、いくら優しくても、本当にスチュワーデスさんにかまっている暇はなく、愛想笑いで適当にかわしてしまった。申し訳ない。 まだ微妙に完成してない状態で現地に着いた。 タクシーで移動。 リーニン本社は白くてツルッとした建物だった。 この時のことは、正直徹夜続きでとても眠く、あんまり覚えていない。 覚えていることと言えば、トイレに行った時のことだけだ。 外観も内装もとっても綺麗で新しい建物なのに、 トイレのドアがいくつか壊れて取れていた。 そして、その壊れてドアの無いトイレの中で、綺麗な女性が堂々と用を足しているという状況だった。 …? 私は普通に、ドアのあるトイレで用を足した。 日本人の学生達には、日本語が喋れる学生の通訳が1人ついていた。 小太りでメガネの優しそうな男の学生さんだった。 「ここがホテルです。1つ星のホテルですよ。」 「ちなみに、教授たちは3つ星のホテルに泊まります。」 …いいな。教授。 そうして現地のホテルに着いた。 ホテルに居る間に、服はなんとか完成させることができた。 一部安全ピンだけども。 なぜ服がこんなにも完成していないかというのを 言い訳させてもらうと、当時服なんて自分用以外に ちゃんと作ったことがなかったのだ。 身長150cmの私が、180cmぐらいの女性モデルに2着と 2m近い男性モデルに1着を作らなきゃいけない。 しかも扱ったことのない、スポーティーなストレッチ素材の上下を3体分。 どうやって型紙をひけば良いの? 闇雲に作って、何度かやり直しさせられていた。 (もちろん泣いた) 安全ピンのついた服を提出し、翌日フィッターさん(ショーのときに脱ぎ着させる人のこと)のもとへ行く。 すると、そこには… 大量のおばちゃん…?! ーーーーー 一体、このおばちゃんちゃん達の正体とは? 次回へつづく…!
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スモッキング刺繍デザイナー

Suicoduki(スイコヅキ)
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