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病気や貧乏に対する守護聖人で、『ルルドの奇跡』の取り次ぎの人、聖ベルナデッタの御メダイで作ったネックレスです。
『ベルナデッタ・スビルー』
(St. Bernadette Soubirous)
1844年1月7日、フランスのルルド生まれ。
非常に貧しい家庭で育ったベルナデッタはほとんど学校に行けなかったので、読み書きもできない内気な少女でした。その上病弱で、死ぬまで喘息に苦しみました。
1858年2月11日、ベルナデッタが14歳の時、妹と友だちの3人で家の近くのガブ川の岸辺にたきぎを拾いに行きました。すると目の前の洞窟に不思議な光に包まれた聖母マリアが現れました。しかし一緒にいた妹と友だちには何も見えませんでした。
この日から7月16日までの5カ月の間、聖母マリアはルルドの洞窟に18回現れ、「罪びとのために祈りなさい」とベルナデッタをじっと見つめながら言われ、彼女は絶え間なくロザリオの祈りを唱えました。
ベルナデッタは家の手伝いをしている時も、ヌヴェール愛徳修道会に入ってからも、臨終の床で耐え難い苦しみの中にある時も、いつもロザリオの祈りを捧げていました。
1879年4月16日、35歳の若さで喘息、肺結核、脊椎カリエスにより亡くなり、修道院内の墓に埋葬されました。
死後30年、40年、46年と彼女の墓が開けられましたが、遺体は全く腐敗しておらず、1933年12月8日教皇ピオ11世によって列聖されました。
ベルナデッタの遺体は、今もヌヴェール愛徳修道会の聖堂に静かに安置されています。
聖地ルルドは年間400万を越す人々が世界中から巡礼に訪れ、聖母マリアが現れた洞窟から湧き出る水によって、今も多くの奇跡が行われています。
生きた時代:1844年-1879年
守護分野:病気、貧乏
こちらの御メダイは若きベルナデッタがロザリオの祈りを捧げている御姿を刻んだものです。
メダイ、十字架共にイタリア正規聖品です。
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《メダイ》
聖ベルナデッタ 20×15mm
《十字架》
イエス キリスト 10×12mm
《サイズ》
40cm + アジャスター5cm
atelier †Leda†
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病気や貧乏に対する守護聖人で、『ルルドの奇跡』の取り次ぎの人、聖ベルナデッタの御メダイで作ったネックレスです。
『ベルナデッタ・スビルー』
(St. Bernadette Soubirous)
1844年1月7日、フランスのルルド生まれ。
非常に貧しい家庭で育ったベルナデッタはほとんど学校に行けなかったので、読み書きもできない内気な少女でした。その上病弱で、死ぬまで喘息に苦しみました。
1858年2月11日、ベルナデッタが14歳の時、妹と友だちの3人で家の近くのガブ川の岸辺にたきぎを拾いに行きました。すると目の前の洞窟に不思議な光に包まれた聖母マリアが現れました。しかし一緒にいた妹と友だちには何も見えませんでした。
この日から7月16日までの5カ月の間、聖母マリアはルルドの洞窟に18回現れ、「罪びとのために祈りなさい」とベルナデッタをじっと見つめながら言われ、彼女は絶え間なくロザリオの祈りを唱えました。
ベルナデッタは家の手伝いをしている時も、ヌヴェール愛徳修道会に入ってからも、臨終の床で耐え難い苦しみの中にある時も、いつもロザリオの祈りを捧げていました。
1879年4月16日、35歳の若さで喘息、肺結核、脊椎カリエスにより亡くなり、修道院内の墓に埋葬されました。
死後30年、40年、46年と彼女の墓が開けられましたが、遺体は全く腐敗しておらず、1933年12月8日教皇ピオ11世によって列聖されました。
ベルナデッタの遺体は、今もヌヴェール愛徳修道会の聖堂に静かに安置されています。
聖地ルルドは年間400万を越す人々が世界中から巡礼に訪れ、聖母マリアが現れた洞窟から湧き出る水によって、今も多くの奇跡が行われています。
生きた時代:1844年-1879年
守護分野:病気、貧乏
こちらの御メダイは若きベルナデッタがロザリオの祈りを捧げている御姿を刻んだものです。
メダイ、十字架共にイタリア正規聖品です。
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《メダイ》
聖ベルナデッタ 20×15mm
《十字架》
イエス キリスト 10×12mm
《サイズ》
40cm + アジャスター5cm
atelier †Leda†