執筆:中前結花 イラスト:Jojo Yan
「マスタード」とは
そもそも「マスタード」とは。
秋冬の定番としても人気の高い、からし色。洋服に取り入れても、バッグやマフラー、ニットの帽子…と、小物に取り入れてもさりげなく季節感を演出してくれるカラーです。
どこか小慣れた大人っぽい印象が魅力。
(「色の辞典」/ 雷鳥社 より)
この色を見てパッと思い出すのは、1979年に発売された、竹内まりやさんの名曲『September』。
「からし色のシャツ、追いながらー」という印象的な歌い出しではじまるこの曲は、幼い頃、わが家の車の中で何度も流れる、母のお気に入りの曲でした。
そして、大人になったいま、改めて聞くことで感じる、この味わい深さ。
今回は、そんなマスタードカラー同様に、ちょっと「大人」の入り口のようなお話です。
日差しが弱まる秋のさみしさ
この曲で、「からし色のシャツ」を着ているのは主人公の彼だ。
その彼を、「いけない」と心で自分を諭しながらも尾行し、彼女はその顛末に傷ついてしまう、そんなストーリーが、パラパラとめくれる雑誌のように、リズミカルに綴られている。
「その人」とは、自分よりも、彼よりも歳上の女性。
夏の日差しが弱まるように彼の心には影が差して、そしてその人の元へとまるで夏のように去ってしまう。
ひと夏の恋から、秋の別れへ、そして傷つき強くなっていく女性の凛とした成長のようなものが、秋の美しい情景と一緒に、松本隆さんによって丁寧に描かれている作品だった。
子どもが口にするには、あまりにも苦く切ないこの曲の影響か、わたしは「からし色」に、もうずいぶんと昔から「秋の大人の色」、そんなイメージを抱いていたように思う。
だから、学生を卒業して社会人になり、片田舎から東京に出てきたわたしが、夏の終わりに満を持したように「マスタードカラーのワンピース」を買ったのは、もはや“必然”のようなできごとだったのだ。
「だめ」な色。
そしてさらに数年後。
コスメを扱う職場に就いてからは、わたしの「大人の女性への憧れ」は、なんだかさらに拍車がかかった。
周りには、自由を謳歌する20〜30代の女性が、惜しげもなく美しい生足をヒールの靴にねじ込んで、コツコツと歩いているような職場だった。
気になるリップが出れば手に入れる、「いい」と聞いた美容法は漏れなく試す。
大量の仕事を完璧にこなしながら、美しいことも、おもしろいことも、自分の力で手に入れて、きらきらと毎日がたのしそうだった。
22:00に無理やり業務を切り上げ、化粧室で真横に並んで髪を丁寧に巻きつけると、そこからデートに繰り出した。
「こういう大人になりたい」
と、わたしも見よう見真似で努力する。
お姉さんたちが身につける、マスタードのノースリーブニットや、オレンジのリップ、コーラルピンクの粒のピアスも買い揃えた。
だけどある日、
「ユカちゃんは、オレンジはだめよ。マスタードなんていちばんだめ。ネイビーを着て、パールをつけないと」
と言われてきょとんとしてしまう。
「そのオレンジのリップ買ってあげる。いくらしたの?」
先輩は本当に、定価でリップを買い取ってくれた。
そして次の日には、可愛いリボン結ばれた小袋をデスクまで持ってきて、
「これ、あげるからね」
と手渡して去っていく。
中をそっと覗くと、ローズカラーのチークと、名刺のようなカードが入っていて、そこには「パーソナルカラー診断」と書いてあった。
それが、わたしの「色」への興味をさらに深くした、出逢いだったのだ。
わたしに似合うもの
さっそく休日に約束を取り付け、その名刺の住所のもとへ向かうと、そのマンションの一室には、あっと目の覚めるような光景が広がっている。
色。色。色。
どこもかしこも、新品の絵の具のようにきれいなグラデーションになって、紙や布や宝石、それから帽子までがずらりと並んでいた。
「じゃあ、はじめましょうね」
と、品の良い朗らかな笑顔で、女性はわたしを、奥の個室へと招いてくれた。
そして、おおよそ100枚近くの布を次々と顔や胸にあてがうと、
「あなたは“冬”というグループに入ります」
と説明をしてくれる。
「冬…。」
パーソナルカラー診断では、大まかには「春夏秋冬」にグループを分けられる。
わたしは、その内の「冬」であり、そして、さまざまな素材をあてがった結果、
「大きな花柄や大きなドット柄」
「ベロアのような素材」
「特に、ネイビーやフューシャピンク」
「アクセサリーはゴールドとパール」
が似合うのだ、ということもおしえてくれた。
「ピンクが好きなんですけど、コーラルピンクは?」
と尋ねると
「ごめんなさい、似合いません」と両断される。
「マスタードの服があるんです」
「いちばん似合わないので、処分するしかないかもしれません」
といった具合だ。
たしかに、鏡であてがうと一目瞭然だった。
ネイビーの布をあてがうときと、マスタードをあてがうときでは、まるで別人のように顔がぼやける。
帰宅すると、わたしはすっかり恐ろしくなって、マスタードもオレンジも、ベージュもコーラルピンクも…。
洋服やピアスはひとつ残らず箱に詰め、
「欲しい」といった友人が中身をさらってしまった残りは、すべて処分してしまった。
「みんな、そうやって色を選んでいたのか!」
と、わたしだけに隠されていた世界の秘密を知ってしまったような、地団駄を踏みたい気分になる。
そうして、わたしはそこで「マスタード」をはじめとした、いわゆる「秋色」にきっぱりと別れを告げた。
からし色のシャツだなんて、二度と袖を通すことはないのだろう、とどこか秋の終わりのような気分でたくさんの色を見送ったのだった。
再会
それからさらに5年ほどの時が経った、つい最近のこと。
デザインが「どうしても」と気に入り、コーラルピンクの石が付いたリングを買ってしまった。あまり似合わないのはわかっているけれど、それでもいいから、この指に通してみたかったのだ。
食事に出かけて、何気なく化粧室の鏡の前で指先をそっと顔に近づけてみると、なんだか不思議な気分だった。
「なあんだ、大しておかしくないじゃない」
と気分がよくなる。
それからは、買いものに出かけても、これまで素通りしていたマスタードやオレンジも、一応あてがってみるようになった。
だって、以前より本当におかしくない気がするのだ。
重ねること
本当は、理由をちゃんと知っている。
これは、「加齢」のせいであり、つまり「「老化」だ。
29、30、31、と小さな階段をすこしずつ上がるだけでも、
肌の色は微妙に変わり、徐々にメイクの仕方だって変わる。
一般的に「人のパーソナルカラーは、変わるものではない」と言われているけれど、
似合う色味が広がったり狭まったり、ほんの少し揺らいだりすることはあるのだそうで、
その結果、わたしはすこしだけ黄味がかったピンクやグリーン、マスタードカラーとの違和感もさほど気にならなくなったのだと思う。
なにより、多少のぼやけぐらいは、まあ許せる、その程度のことは気にならない…そんな目や心が備わりはじめた、と言えるのかもしれなかった。
これさえも「老化」と呼んでしまえばそれまでだけど、それは「重ねる喜び」を知らない人が感じる呪いなのだということが、近頃になって本当によくわかるのだ。
わたしがなりたいのは、あの頃いっしょに働いていた、自由でたのしくて仕事も遊びも一切手を抜かないお姉さんたちだった。
「でも、◎◎さんは秋色が似合うはずなのに、濃いネイビーも着るじゃないですか」
とわたしが言えば、
「あのね、なんでも組み合わせなのよ。ネイビーとサーモンピンクは合うでしょ。だから、ネイビーを着るときは、サンゴの付いた大きめのピアスするの。好きな色を着るの。上級者は、似合うようにする。子どもは似合う色を頑張って着とけばいいの」
ということらしい。
「色」も「美」も「選ぶ」ということも。
大人になるたびたのしくなるのだということを、24〜25歳の絶妙な年頃のとき、おしえてくれる人がいて本当によかったとわたしは思う。
わたしたちは暮らしていく限り、間違いなく年齢を重ねる。
「自分」を知って、「好み」を知って、「手に入れる」ことと「手放す」ことをしっかり重ねて。
似合わなくなるもの、似合うようになるもの、季節の旬を味わうように、その時々で味わい、たのしめばいい。
どこか呪いのように避けていたマスタードだって、もうちっとも今は怖くないのだ。
マスタードのアイテムをひとつ
せっかくなので、気になるマスタードカラーのアイテムをひとつ選んでみました。べっ甲のチャームと、ひらひら揺れるマスタードのシフォンフラワー。秋色ワンピース、白のニット…秋冬のアイテムとの組み合わせをたっぷりとたのしめそうです。
来月は、どんな色にしましょう。どうぞ、おたのしみに。
今回の挿絵は、イラストレーナー・Jojo Yanさんにお願いしました。
ずいぶんと期間が空いてしまったこともあり、今回は「色にこだわるようになった理由」について、しっかりと書いてみたいと思いました。ファッションのたのしさや、女性の美しさを表現したい、と考えたとき、ぜひお願いしたかったのがJojo Yanさん。爽やかながら、どこか艶っぽくて目が離せない、そんな「美しさ」を丁寧に描き上げていただき、本当にありがとうございました。(中前結花)
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