特集

佐賀のやきものでアクセサリーを。「やきものの里」肥前の、窯元をめぐる。<伊万里・武雄 編>

【PR】日本遺産に認定されている『肥前やきもの圏』。400年以上にわたって“やきもの”の伝統や技術、そして文化が受け継がれてきた佐賀県と長崎県の一部地域です。今回「minneとものづくりと」では、その肥前の窯元で生まれた陶片やパーツを使って新たな作品づくりを行う、という試みを作家さんとともに実現しました。今回訪れたのは、「伊万里」「武雄」の窯元です。

400年以上前から引き継がれるもの

佐賀県の肥前で、400年以上も続く“やきもの”の技術・文化。
それぞれの背景や技法、仕上がりの特徴は実にさまざまですが、長きにわたって、いくつもの窯元で大切に受け継がれてきたものであることに変わりはありません。

中でも、唐津・伊万里・武雄・嬉野・有田の5地域が集まるプロジェクト「HIZEN5」と、minneがコラボレーションすることで、やきものの新たな可能性を検討することとなり、窯元の技術と作家さんのアイデアを掛け合わせたいくつもの共作が誕生しました。

ひとつひとつは小さな作品ですが、この融合に大きな感動と可能性を感じています。

そんな期待を胸に、この秋、はるばる佐賀の地を訪ね、いくつもの窯元さんを巡らせていただくことができました。

伊万里の「虎仙窯(こせんがま)」

佐賀藩の御用窯として高度な技法を受け継いできた、伊万里の「鍋島焼」。
前回の唐津に続き、「虎仙窯」を構える川副さんにもお話をうかがうことができました。

伊万里・鍋島焼の長い歴史と伝統を受け継ぐ「虎仙窯」。
川副さんには、やきものの「これから」に対する、冷静で確かなビジョンと、並々ならぬ熱い想いがありました。


かつて、将軍への献上品であったこと。「大名の日用品」と呼ばれ、決して庶民の手には渡ることがなかったのが、この「鍋島焼」です。
絵付けや染付けの作品ももちろん豊富に生まれていますが、「青磁」の美しさもまた格別。


今回は、その青磁の陶片を使ったアクセサリーを、陶磁器作家でもあるNolismさんにデザイン・制作いただきました。

川副さん
廃棄されるはずだった「陶片」が復元されることは、とてもうれしいことですね。それに、なにより「青磁」の陶片がアクセサリーというプロダクトとして多くの人に知っていただけることは素晴らしいと考えています。

ぱっと目を惹く色味ながら、さらに惹きつけられてやまないのは、この品の良さです。

今回の共作はどのように感じられていますか?

川副さん
たとえば「若い人に、日本の工芸の素晴らしさを知っていただきたいですね」と言いたいところではあるのですが、そんな簡単なものではないということは重く受け止めているつもりなんです。そんな中でも、今回の取り組みを通してのいちばんの願いは「まず触れてほしい」ということです。この作品はもちろんですが、「鍋島焼」「鍋島青磁」という言葉をもっと身近に感じていただく、そんなきっかけになれば、と考えています。

川副さんが目指しているのは、『100年後に感動してもらえる作品をつくる』ということなのだそう。

川副さん
100年後に感動してもらう、これを可能にするためには、ものづくりを続けていく場所(産地)が必要です。この産地が成長、発展し、元気になっていかなければいけません。そのために、今ぼくらの会社では『鍋島焼文化の確立』というビジョンを持っています。これを軸に、幅広くチャンレンジを続けて、新しい「鍋島焼」の文化を本当に創り上げたいと考えています。

伝統ある、たしかな技術と歴史、そして「鍋島焼」を想う気持ちが、この深く澄んだ青磁のブルーを一層美しいものにしているように感じます。

伊万里「虎仙窯(こせんがま)」

武雄の「綿島康浩陶工房」

日本各地だけでなく海外にも輸出され、陶土の風合いが美しい「陶器」と、白さが輝く「磁器」の、そのどちらもが愛され続ける「武雄焼」。

ポツンと山の上に構える「綿島康浩工房」。
「窯付の空き物件を探したらここになった」と窯主である綿島康浩さんは話してくれました。

この工房では、「三島手」と呼ばれる、印花(いんか)を使った技法で、個性あふれる華やかな作品がつくられています。

そもそも「印花」とは、古くから使われてきた型押し模様。
かつては「刷毛目」や「粉引」などの技法も用いていた綿島さんですが、6年ほど前、師匠の「自分の作品だという特徴つくったほうがいい」というひと言で、印花を極めることに。

今では綿島さんの代名詞のように、印花を用いた作品をたくさん制作されています。

綿島康浩さん
自分なりのバリエーションとして、色もつけるようになりました。「岩絵の具」という技法で、本焼きしたあとに塗り、再度焼き付けるというつくり方なんです。

工房には数えられないほどの印花が。印花自体を自分で掘ってつくることもあるといいます。

 

同じものを極めることに、苦労や辛さはありませんか?

綿島康浩さん
印花をつくり続けてきて、初期とは自分の作品が変化してきたことを自分自身で感じるんですよ。これから先もどんなふうに変化をしていくのか。それもたのしみだったりしますね。

今回はこの印花を用いたパーツを譲り受け、アクセサリー作家・KAKAPOさんが、コラボレーション作品の制作に取り組みました。

綿島康浩さん
普段ほとんど使わない、銀の絵の具も使ってパーツを制作しました。これは自分なりの挑戦です。小さなパーツのサイズに合わせて、小さい印花も用意しました。銀色が映えるように、パーツには赤い土を使ってるんです。落ち着いた色味の理想的な銀色と印花のアクセサリーをつくることができましたね。日常使いはもちろん、和装などでもたのしんでいただけたらうれしいです。

工房には大きな焼き窯も。

綿島康浩さん
伝統を守ることは、他の方にお任せさせていただいて…。自分はこれからもいろいろ挑戦していきたいですね。手を動かしながら、次の課題を常に見つけて挑んでいきたいと思っています。

武雄「綿島康浩陶工房」

武雄の「康雲窯(こううんがま)」

素朴な土もの「唐津」と、上絵・赤絵などをあしらい、華やかな特色を取り入れながら制作されている康雲窯さん。工房では、お父さまと娘さん、親子おふたりで横に並んで制作をされていました。

祖父から受け継がれたという「蹴ろくろ」を使って作陶する、娘の華傅さん。

華傅さん
伝統を絶やしたくないという気持ちで使っています。手間がかかるぶんだけ、なんだか想いを込めて制作できているような気がするんです。

壁にはおふたりで使用される道具がびっしりと並んでいました。
やきものをつくる上でのこだわりは、色や風合い、そしてなにかを盛り付けたとき、「しっかりと映えるかどうか」だといいます。

華傅さん
器が引き立ちすぎないように使うときのイメージをして、バランスを考えて制作していますね。

そんな康雲窯さんのやきものと、異素材を掛け合わせた目を惹くピアスを制作してくだったのは、アクセサリー作家・KAKAPOさん。

華傅さん
今回は釉薬の色味にこだわり、気持ちを切り替えてくれたり、癒しを与えてくれるようなものを、と意識してパーツをつくりました。土と釉薬の相性、絵の具の相性を探りながら、これまでにない組み合わせで、何度も焼き、試作を重ねて完成した色味です。わたし自身、身につけるアクセサリーでテンションが上がったり、シャキッとしたり。HIZEN5のアクセサリーを購入される方にも、そういった気分の変化を味わっていただけたらと思います。つくってみたいという方も増えるとうれしいですね。

華傅さんは、今回、HIZEN5のパーツをつくりながら、ふと思い出したことがあるそうです。それは、学校を卒業し、東京で働いていたときのこと。
ハードワークで会社と家を往復するだけの日々を過ごす中、何の前触れもなく届いたのはお父さまからの手づくりのうどんどんぶり。
その器に入れたのはカップ麺でしたが、ものすごくおいしく感じたそう。

華傅さん
今年は、本当にいろいろな悩みや不安を抱えている人がきっと多いと思います。器を手にとったとき、一瞬でも、ほっとする時間を過ごしてもらうことができれば…と願うばかりです。

武雄「康雲窯」

武雄の「東馬窯(とうまがま)」

地元ならではの素材を使い、個性的な作品を制作されている東馬窯さん。
裏山の土を使って粘土をつくり、武雄で育てられたレモングラスで釉薬をつくるのだといいます。

手がける作品の特徴は、梅華皮(かいらぎ)や蛇蝎(だかつ)など「貫入模様(かんにゅうもよう)」がほどこされていること。貫入とは、陶器の表面に入る、散りばめられたようなこの小さな「ヒビ」。

独自に研究を重ねることで生み出された、この独特な美しさを持つ模様に、魅入られる人が大勢いるのです。

そんな東馬窯さんと貫入模様を見事に取り入れ、KAKAPOさんがピアスを完成させてくれました。

馬場さん
アクセサリー作家さんとのコラボレーションははじめてのことで、自分では考えつかない、陶片アクセサリーが完成しました。若い方からご年配の方まで。幅広い年齢の方に、この陶片アクセサリーを通して、佐賀のやきものや各産地の多種多様の技法を知っていただけたらうれしいですね。

レモングラス釉の器

馬場さん
日常の生活の中に彩りを加えるお手伝いができることが、わたしにとっては、いちばんの喜びです。そういった作品を生み出し続けることは大変でもありますが、窯元として、伝統を踏まえつつも新しいことにチャレンジし、その時代時代にあったやきものをつくり、後世に残していけたらと考えています。

武雄「東馬窯」

引き継ぎ、そして新たな文化をつくる

これまでの歴史と伝統を重んじ、たしかな技術と信念を引き継ぐということは、決して「このまま」を続けるということではなく、「これから」のために新たな可能性を探り続け、いつまでも活気ある産地であり続ける必要がある、ということを窯元のみなさんの姿勢に気付かされることとなりました。

これから、もっともっと「やきもの」を好きになる。
そんな予感で胸がいっぱいの旅となりました。

次回訪れるのは「嬉野」と「有田」です。おたのしみに。


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文 / 中前結花、堀田恵里香、西巻香織   撮影 / 真田英幸・中村紀世志
企画・ディレクション / 中村瑛美里・中前結花

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