美珠のみたま(前)

「万年鳥居の名のもとに、金色狐の守り神。真っ赤な鳥居くぐったらば。みたま差し出し、お帰り申せ」  初夏、蝉しぐれが聞こえ始めたある日の昼下がり、ルームシェアをしている親友の美珠(みたま)が、上機嫌で歌いながら歩いている。古臭い歌を歌っているなと、思わず立ち止まった。 「なに? その歌」 「あれ~? 愛花(うか)ちゃん、知らないの~?」  美珠がからかうような言い方で振り返る。親友の美珠は、大層可愛いらしい女だった。黒々とした艶やかな黒髪に、消え入りそうな白い肌が、ひどく美しかったのを覚えている。 「知らないよ。ていうか、そんな古めかしい歌、知ってる方がおかしいでしょ」 「ええ? なによぅ。私がおかしいって言いたいの?」 「おかしい。美珠は絶対におかしい」 「うぅ……酷い……ていうか、大学のオカルト研究サークル入ってるくせに知らないなんて、そっちの方がおかしいと思いますけど~?」 「だから……私は別にそういうのが好きで入ったんじゃないってば。友達に誘われて入っただけ」 「この町じゃ、有名な歌よ?」 「私がこの田舎町よりもっと田舎から出てきたの知ってるでしょ。地元民じゃないの」 「ああ、そっかぁ。じゃ、知らないかぁ」 「ま、地元から出てもいける大学なんて、こんな田舎の大学ぐらいだけど」 「だから、大学卒業したら一緒に上京しようって言ってるんじゃない」 「卒業できるかも怪しいくせに……で? なんなの? さっきの歌」 「あれ? 気になって来ちゃった? ふふふ……」  美珠は常に私をからかうようにして、それを楽しんでいる様子だった。 「もういい。早く買い物行くよ」  少しムカついて、置いて帰ろうとした。 「ああ! 待って待って! 教えてあげるから! あのね、ここの神社のこの鳥居ね、万年鳥居って言われてるの」 「万年鳥居?」  自分たちの隣に佇んでいる、古めかしい小さな赤い鳥居を見る。大学の帰り道にある神社の鳥居だが、その存在はあまりに小さく、いままで気に留めることはあまりなかった。 「この鳥居をくぐるとね、明日か昨日か、それとも何年も先の未来か、何年も前の過去か、とにかく今日とは全然違う時間に行けちゃうんだって」 「……ありえないでしょ」 「都市伝説だしねぇ。それにね、ただ鳥居をくぐるだけじゃダメなんだって。神様にね、対価を払わなきゃいけないんだって」 「……金色狐の守り神?」 「そう! えっと、対価はね。えっと……うんと……なんだったっけ……」  忘れちゃった、とわざとらしく美珠が笑う。 「アホらし。ほら、早く行こ。今日のご飯はカレーにするんでしょ。お肉とカレー粉、ニンジン、ジャガイモ……あ、玉ねぎって入れていいんだっけ?」 「私、玉ねぎ大好きだよ! 最近の稲荷はね、玉ねぎ食べても平気なんだから!」 「はいはい。じゃ、早く買い物行こ」 「ねぇ、愛花ちゃん。万年鳥居、くぐってみようよ」  美珠の言葉にまた立ち止まった。振り返ると、いつも通りのわざとらしい笑顔を浮かべた美珠が立っている。 「はぁ? 普通にくぐっちゃダメなんでしょ?」 「愛花ちゃん、ほんとに忘れちゃったの?」 「なにが?」 「歌だよ。歌。さっきの」 「忘れたもなにも、知らないってば……」 「忘れちゃったかぁ……そっかぁ……寂しいな」  なぜか、酷く寂しげに美珠が笑う。ふと、真っ赤な鳥居が視界に入った。違和感を覚える。なぜ? 「……ねぇ、美珠。ここの神社ってさ……」 「うん?」 「……なんの神様、祀ってたっけ……?」 「そんなことも忘れちゃったの? もう。お稲荷様だよ。お稲荷様」  お稲荷様、ということは神の使いの狐がいるはずだ。 「ねぇ、愛花ちゃん。鳥居、くぐっていこうよ」  蝉しぐれの音がうるさく、じんわりと汗ばむ気候がうざったい。頭がぼーっとするようで、なぜかとても冷静に、なにかを思い出そうとしていた。 「……うん」 「やったぁ! 愛花ちゃん、大好き!」  夏だというのに、美珠が私の腕に絡みついて来る。美珠の肌はひんやりと冷たく、心地よくて、二人で一緒に鳥居に向かって歩き出した。  鳥居の中に一歩足を踏み入れる。もう、大学卒業まで半年を切った、夏の初めの頃。          𖥧 𖥧 𖥧 「……か……愛花?」 「へ?」  自分の名前を呼ばれ、目を覚ました。いや、眠っていたわけではない。ぼーっとしていた。夢を見ていた気がするのに、その内容を思い出せない。 「へ? じゃないよ、愛花ちゃん。話聞いてた?」 「あ……ごめん。ちょっとぼーっとしてた」  私を挟んで座っている彩羽(いろは)と璃子(りこ)が私を見つめている。私を起こした彩羽が「もう」と頬を膨らませた。 「どうした? 珍しいな。熱中症?」  向かい側にいる仁(じん)が心配してくれる。その隣に樹(いつき)くんがいた。サークルの部室で一つの机を囲み、みんなで話していたのだと思い出す。 「いや……違う。ごめん、彩羽。もう一回言って」 「も~? だから? 肝試し行こって言ってんの?」 「夏休みといえば肝試しでしょ? たまにはオカ研らしいことしようって、彩羽と仁が」 「そうそう! 夏だしな!」  オカルト好きの彩羽と仁はノリノリだ。 「……肝試しって、なにすんの?」 「万年鳥居の名のもとに、金色狐の守り神。真っ赤な鳥居くぐったらば。みたま差し出し、お帰り申せ」  彩羽が古臭い歌を口ずさんだ。聞き覚えの無い歌だ。 「愛花はその歌知らないんじゃね? 地元民じゃないだろ」 「ああ、そっか。愛花ちゃん、知らないのか」 「なに、その古臭い歌」 「我が町に伝わる都市伝説なのだ!」 「都市伝説? ……樹くん、説明」 「あ、俺なの? はいはい」  いままでずっと黙っていた樹くんがようやく話し出す。一つ上の先輩は、常に大人しく、後輩の話を楽しそうに聞いていた。 「彩羽が歌った歌に出てくる万年鳥居って、大学の近くにある神社の鳥居なんだよ。その鳥居をくぐると、時を超えられるって都市伝説があるんだ」 「だがしかし! 鳥居をくぐって時を超えてしまった人は、二度と戻って来られなくなるっていう都市伝説」 「ま、ありがちな神隠し系の都市伝説な」  彩羽と仁が樹くんに続いて誇らしげに言う。 「……私、神隠しになんて会いたくないけど……」 「大丈夫だよ、愛花ちゃん。鳥居をくぐってしまってもね、その神社のお稲荷様にお供え物さえすれば、もとの時間に帰してもらえるらしいから」 「……都合のいい都市伝説だね」 「都市伝説なんてそんなもんだよ」  璃子と樹くんは、乗り気でない私を励ましてくれた。 「というわけで! 今夜、神社の前に集合して、一人ずつ鳥居をくぐって、お稲荷様にお供えして帰ってこれたら成功っていう肝試し! どう?」  彩羽の提案に私以外のみんなが頷く。 「アホらし……」  そんな言葉を漏らすと、彩羽が不服そうに頬を膨らませた。 「も~! 愛花はまたそんなこと言って! ノリ悪いんだから~」 「愛花ちゃんって、なんでオカ研入ったのか、よくわからないよね~」 「とにかく、今夜、各自でお供え物持って神社前集合な」 「お稲荷様のお供えといったらおいなりさんかな。みんなで作る?」  みんなが口々に話し出す。私は、ずっと引っかかっていた違和感を口に出した。 「……ねぇ。美珠は? あの子、今日のこの時間、なんか講義入ってたっけ?」 「みたま? なに、歌詞の話? みたま差し出し、お帰り申せってやつのみたま?」 「いや、そうじゃなくて。美珠……え、いるよね?」 「愛花ちゃんの友達とかの話? 知らないよ~、私たち。そんな子なんて」 「オカ研は俺たち五人で全員だろ。大丈夫か?」 「愛花ちゃん、本当に大丈夫? 熱中症?」  みんなが不思議そうに首を傾げる。その表情に我に返った。私、誰の話をしていた? 「……いや、そっか。そうだよね。五人で全員だよね……ごめん」  身体の半身を失ったような喪失感と、居心地の悪い違和感。それなのに、なぜそう思うのかがわからない。思い出せない。 「大丈夫? 肝試し、やめとく?」 「ううん。平気。大丈夫。先、帰るね。準備しとく」 「愛花ちゃん! 今日の夜九時に神社の前集合ね!」 「うん。わかった」  心配してくれる璃子と彩羽に答え、送ろうかと言ってくれる樹くんに大丈夫だと伝えて部屋を後にした。なぜか、酷く、寂しかった。          𖥧 𖥧 𖥧  家に帰り、倒れるように眠りについた私を起こしたのはインターホンの音で、すでに暗くなった外に驚きながら慌てて出ると、樹くんが迎えに来てくれていた。いつ用意したのか覚えのないお供え物を入れたビニール袋を手に、樹くんと神社に向かうと、鳥居の前で彩羽と璃子が待っていた。 「あ! 愛花、遅い~! もう始まってるよ~!」 「やっぱり樹くんに迎えに行ってもらってよかったぁ」 「ごめんごめん。樹くんもわざわざごめんね」 「べつにいいよ。それより、体調大丈夫?」 「大丈夫だよ。仁は?」 「樹くんが一番最初に行って帰ってきて、私と璃子がその後に行って、いま仁がいってるとこ。そろそろ帰ってくんじゃない?」 「私と彩羽ちゃん、なんともなかったから大丈夫だよ~。鳥居くぐって、奥のお社まで行って、お供え物置いて来るだけ」 「あ、戻って来たんじゃない?」  樹くんの言葉に鳥居の方を見ると、仁が戻って来た。 「なんか、拍子抜けだわ」 「やっぱり?」 「べつになんか出るわけじゃないしな。おお、愛花。お前もさっさと行ってこいよ」  みんなに見送られ、鳥居をくぐる。鳥居の向こうに続く階段を少し上ると、すぐに小さなお社が見えて来た。みんなが置いたのだろう、お供え物が置かれている。 「こんばんは」…           𖥧 𖥧 𖥧 ✏︎つづく… 「美珠のみたま」 著者|柚里カオリ

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