「うわ?」
唐突に、お社の影から女の子が一人出て来た。夜の闇に溶け入りそうな、黒々とした黒髪に白い肌を持つ、可愛らしい女の子。夏なのに、汗一つかいていない。
「こんな夜中になにしてるの?」
「こっちのセリフなんだけど……肝試しに来たの」
「肝試し? この神社、そんなに大層なものは出ないよ」
「だろうね。私もお供えしたら帰るから」
「なにを持ってきたの?」
「おいなりさんとアイス」
「アイス?」
女の子が目を輝かせて、私の目を見た。
「この気温じゃ、お稲荷様も暑いだろうと思って」
「いいチョイスしてるね~! ね、ちょうだい!」
「いいけど……」
ビニール袋を手渡すと、女の子はアイスを取り出して袋を開け、顔をしかめた。
「あちゃ。ドロドロだぁ。残念……」
「さすがに溶けちゃったか」
「むぅ……あ、見て! あたりだ!」
ドロドロに溶けて残った棒には、『あたり』の文字が刻まれていた。
「やったね。もう一本」
「やったぁ! 愛花ちゃん! 早くコンビニ戻って、アイスもらいに行こ!」
「はいはい。わかったよ。あんまりはしゃぐと転ぶよ? 美珠」
「転ばないよ~!」
美珠が走り出し「早く!」と私を呼ぶ。そのあまりの無邪気さに笑いながら、階段を降り始めた。
𖥧 𖥧 𖥧
ハッと目を覚ました。ソファーの上でうたた寝をしていたようだ。大学卒業後、上京し、美珠とシェアハウスをしている部屋の中。時計を見れば、もう昼過ぎだ。
「……夢? また、懐かしい夢を……」
「愛花ちゃ~ん? 起きたぁ? もう、お昼過ぎちゃうよ~」
美珠がリビングにやって来る。もう、外に出る準備を終わらせてしまったようだ。
「おはよう、美珠」
「おはようって言う時間じゃないもん。ほら、早く準備して? あ、近所にペットショップが出来たんだって! 行ってみようよ!」
「なんか飼いたいの?」
「見てみたいだけ! だってさ、都会はいろんなお店があって、たくさん人がいて、毎日見ていて飽きないんだもん」
「そうだね。私もまさか、本当に美珠と一緒に上京するなんて思わなかった。あんたが卒業できるとも思ってなかったし」
「卒論、頑張ったでしょ?」
「そうだね。ああ、懐かしい夢を見たよ」
「懐かしい夢?」
「大学二年だったかな。夏休みにサークルのみんなと肝試しに行った夜のこと」
「肝試しの後に、みんなでコンビニに行ってアイスを買ったこと?」
「そう。よく覚えてるじゃん」
あの頃は、サークル仲間といろんな場所へ肝試しにいった。大半が肝試しを称する旅行だったけれど、大学二年の夏休みに行った、大学近くの神社のことはよく覚えている。
「私だけ、愛花ちゃんがお供えに持ってきて溶けたアイスのあたりの棒を交換してもらって、ただでアイス食べたんだ。楽しかったよね」美珠が嬉しそうに笑う。
あの頃から、私は美珠に甘いとよく言われた。
「そう。みんな、いまどこにいるんだろうね」
「さあ。私は愛花ちゃんのことしか知らないよ。ほら、もう行こ」
「あ、ちょっと! 置いていかないでよ! 美珠!」
玄関に向かった美珠を慌てて追いかける。大学の影も形もない、遠い場所で私たちは生きている。
𖥧 𖥧 𖥧
授業が終わり、私を待っているだろう美珠の元に向かっていると、食堂の入り口付近で、美珠が見覚えのない男子二人に囲まれていた。まだ入学当初の春、私は美珠以外に一緒に帰るような友達はいなかった。
「ね、ね? 入ろうよ、オカルト研究サークル。絶対楽しいって!」
「え~? うふふ。なんで私なの?」
「かわい……いや、なんか、こう、ビビッと来たんだよ!」
「なにそれ~?」
少しチャラい方の男子がデレデレしながら話している。美珠もまんざらでもなさそうだ。
「樹くんもさ、そう思うよな?」
「まぁ、後輩が増えてくれたら嬉しいよね」
もう一人の大人しそうな男子は、先輩らしかった。美珠の元に向かう。
「美珠。なにしてるの?」
「あ、愛花ちゃん! あのね、この人たちが
サークル入らないかって」
「サークル?」
「オカルト研究サークル! 君もどう? 新人大歓迎!」
チャラい男子が私に笑顔を向ける。顔が引きつるのを感じた。
「……いこ、美珠」
「入ろうよ! サークル!」
「え」
「マジ? やった?」
チャラ男が嬉しそうに言う。あまりにも突拍子がなく、軽率な美珠に額を押さえ、ため息をついた。
「……どうする? 嫌なら、強制はしないよ」
大人しそうな男子が言う。こちらの先輩は、空気が読める人らしい。
「……いいよ。美珠がいいなら」
「これからよろしくね。じゃ、私たち帰るね!」
「え? ちょっと待って、説明とか……?」
「また今度! 今日は愛花ちゃんとお家で映画見る約束してるの! ね? 愛花ちゃん!」
「そうだね」
呆然としているチャラ男を残し、美珠を連れて大学を出た。なぜか美珠は上機嫌で、鼻歌を歌いながら歩いていた。
「なんで急にサークルなんて言い出したの?」
「あの仁くん? って人に誘われたの。せっかくの大学生だし、いいでしょ?」
「いいけど……私オカルトなんて興味ないよ? 美珠も興味ないと思ってた」
「私も興味があるわけじゃないけどさ。お友達は多い方がいいかなって」
何とも言えず、黙り込む。すると、それを見透かしたように、美珠が私の顔を覗き込んだ。
「なあに? 愛花ちゃん、拗ねてるの?」
「なんで拗ねなきゃいけないの。置いて帰るよ」
「うふふ。心配しなくても、私はずっと愛花ちゃんと一緒にいるって~」
「置いて帰る」
「酷い! 仕方ないなぁ。じゃあ、指切りげんまんしよ」
「指切りげんまん?」
美珠が立ち止まり、私のことをジッと見る。
「ずっと一緒にいるって約束、しよ? ほら、手出して」
そう言って、美珠は私の左手を取り、左手の薬指を私の薬指に絡ませた。
「……指切りげんまんって小指じゃない?」
「薬指の方が特別な感じしない? 指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます。指切った!」
薬指が離れる。美珠の手はいつも酷く冷たかった。
「……あのね、愛花ちゃん。約束って、呪いなんだよ」
「え?」
美珠の微笑みは、たまに、この世の者ではないのではないだろうかと思うほど、美しかった。
「だから、ずっと一緒にいてね。うふふ。ちょっとオカルトっぽいでしょ?」
「怖いこと言わないでよ……早く帰って映画見よう」
「うん!」
美珠が私と手を繋ぐ。可愛らしいこの女はいつも私に甘えたがり、いつも私の隣にいて、私と目が合えば「なあに?」と悪戯っぽく微笑んだ。
𖥧 𖥧 𖥧
昼休み、大学の中庭のベンチで作って来たお弁当箱を広げる。友達の少ない私は一人寂しく昼食を取るしかなかった。
「こんにちは、愛花ちゃん。一人?」
現れたのは、樹くんだった。オカルト研究サークル唯一の先輩だ。
「こんにちは、樹くん。友達がいないもので」
「そんな悲しいこと言わないでよ。隣、いい?」
「どうぞ」
樹くんが穏やかに笑う。いつも穏やかで優しい先輩は、同期といるよりも居心地がよかった。
「お弁当なんだ。料理得意?」
「簡単なものなら。得意料理はカレーです」
「へぇ……愛花ちゃんってさ、オカ研より、
そういう料理系のサークルの方が向いてるよね? オカルト、興味ないでしょ?」
その事実は、薄々、みんな気が付いているようだった。
「正直、あまり。友達に誘われて入っただけなので」
「璃子ちゃんと彩羽ちゃん?」
「いえ、その二人とはサークル入って初めて会いました」
「え? じゃあ、仁……なわけないよね。友達って誰?」
「え?」
「だって、うちのサークル、俺と仁、璃子ちゃん、彩羽ちゃん、愛花ちゃんの五人だけでしょ? それにさっき、友達いないって……」
「……いや、でも、違うんです。私だけだったら、オカ研なんて入らない」
「……なんか、ちょっとオカルトっぽいね」
黙り込んだ。わからない。酷く虚しい、この喪失感はなんだろう。
「……オカ研、やめちゃう?」
気を遣わせている。首を横に振った。
「……入ったばかりですし、そんなにすぐにやめませんけど……」
「よかった。愛花ちゃんのカレー食べてみたいし」
「今度作りましょうか?」
「ほんと? 嬉しいな。じゃあ、お礼に今度、なんか奢るよ」
「え? いいですよ、そんな……」
「ご飯でも行こう。二人で。それと、別に敬語使わなくていいよ。一つしか変わらないんだし」
とてもスマートに、さりげなく誘われてしまった。断る理由が見つからないぐらい。
「……慣れてるね。女の子誘うの」
「そんなことないよ。いまも、ドキドキしてる」
「いいよ。行こう、ご飯。私でよかったら」
「やった!」
初めて、樹くんが少し大きな声を出した。それが心の底からの喜びのようで、微笑ましかった。
𖥧 𖥧 𖥧
「たくさんいるねぇ」
「ペットショップだからね」
昼過ぎ。ペットショップの中で、美珠が楽しそうに動物たちを眺めている。
「……あ、あの子、可愛い」
一匹の子犬と目が合った。狐色の毛並みに、ピンと立った耳。私と目が合い、嬉しそうに尻尾を振る姿が、人懐っこくて可愛らしい。
「その子だけ、特別?」
「うん。なんでだろ……」
私の隣で子犬を見ている美珠と目が合った。それで、気が付いた。
「ああ、そうか。美珠に似てるんだ」
「私?」
「そう。あはは、可愛い」
その子犬は美珠によく似ていた。大きな瞳、人懐っこい笑顔、そのすべてが美珠を彷彿とさせた。
「飼ってあげたらいいんじゃない? その子」
アパートの部屋で、目を覚ました。
「……え? あれ、なんで? 私、ペットショップにいたんじゃ……あれ?」
部屋の机に突っ伏して眠っていた。左手の薬指に見覚えのないシルバーリングがはまっている。慌ててあたりを見回した。
「……美珠? 美珠? なんで、なにもないの?」
この部屋は私と美珠が一緒に暮らしている部屋で、だから、美珠の服やものが私のものと一緒に置かれているはずなのに、どうして、美珠のものだけ何もないの? まるで、 狐につままれたように、跡形もなく……。
ガチャリと扉が開く音がした。美珠が帰って来たのかと思って振り返る。そこにいたのは、樹くんだった。
「愛花~? あ、帰ってきてる。どうしたの?」
「……樹……くん?」
「そんなところで寝てたら風邪引くよ。……昨晩の返事、決まった?」
「え?」
「プロポーズの返事……」
少し恥ずかしそうな樹くんの左手の指輪を見る。私とお揃いの指輪。昨夜、私は樹くんにプロポーズされた。お洒落な夜景の見える店で「結婚してほしい」って。指輪を貰って、返事は少し待ってもらった。
違う。私は昨日、美珠とペットショップに行って、夜は私がカレーを作って、二人で映画を見た……はず……だった。
「……ごめん……私、私、ちょっと出かける」
「え? どこに?」
「ごめん」
私の名前を呼ぶ樹くんを無視して部屋を飛び出した。ほとんど何も持たずに駅に向かい、切符を買って電車に飛び込む。
どうして、気が付かなかったんだろう。
「最近の稲荷はね、玉ねぎ食べても平気なんだから!」
最後の方はもはや隠す気もなく。
「おいなりさんよりアイスが好きかな~。おいなりさんは飽きちゃった」
いつの間にかに隣にいるが当たり前になって。
「種族的にイヌ科だからって、同じにされるって失礼しちゃう!」
そもそも、あの子に出会ったのはいつのことだっただろう。
「ずっと一緒にいようね、愛花ちゃん」
あの子が消えたのはいつだっただろう。おかしい。時系列がグチャグチャだ。
「万年鳥居の名のもとに、金色狐の守り神。真っ赤な鳥居くぐったらば。みたま差し出し、お帰り申せ」
𖥧 𖥧 𖥧
気が付けば、外は真っ暗で、目の前の真っ赤な鳥居だけが闇の中にぼんやりと浮かんでいた。その向こうに、異様なまでに美しい、美珠が立っていた。
「あのね。万年鳥居の都市伝説。歌にあるみたまは美しい魂って書いて美魂。つまり、命なの。」
「万年鳥居をくぐったら、命を一つ差し出さないと、やって来た神様は帰ってくれなくて、ずっと鳥居の外に戻れない」
大学のある田舎町についたときにはすでに夜遅く、鳥居の向こうの美珠はいつも通りにわざとらしい笑みを浮かべていて…。
「あの肝試しの夜ね、愛花ちゃん以外のみんなはお花を一輪持ってきていて、だから、そのお花の命と引き換えに帰ってあげたのだけど、愛花ちゃんは何も持ってなかったから、魂、もらっちゃおうって思ったんだよ」
息を切らせて、グチャグチャになっている私を、階段の上から見下ろしていた。
「……でも、美珠はいなくなったじゃない。帰っちゃったじゃない」
「うん。せっかく帰ってあげたのに、なんで戻って来ちゃうかなぁ」
「……あんたが呪いをかけたんじゃない」
あんたって、いつもそう。
「いろんな時間を行ったり来たりして、混乱させちゃったと思うけど、少しずつ、私の記憶をなくしていったのに、なんで思い出しちゃったの?」
「あんたが言ったんじゃない……」
「え?」
どうしようもなく、人を惹きつけてやまないくせに。
「私に呪いをかけたくせに、魂もらおうとしてたくせに、ずっと一緒にいてって言ったくせに、勝手に帰ってんじゃないわよ」
左手の指輪を外し、鳥居の向こうにいる美珠に投げつけた。
「えー? ちょっとちょっと! 樹くんにもらった大切な指輪でしょ?」
美珠が慌てて指輪を取りに行く。自分の息が荒く、熱かった。胸の奥にずっとくすぶっていた喪失感は、あんただったんだって気が付いた。
「ふざけるな……」
言葉を絞り出しながら、その場にしゃがみ込む。涙でグチャグチャな顔など、見られてたまるものか。感情をむき出しにした、愚かな姿なんて。
「はいはい。もぅ。愛花ちゃんは仕方ないんだから」
美珠が私のすぐそばに来た気配がした。どんなに隠しても、きっと、あんたにはお見通しなんだろう。
「イヌ科で一緒にされたのが、そんなに気に入らなかった?」
顔を上げると、美珠が微笑んだ。
「違うよ。ただ、あの時ね。なんだか、愛花ちゃんが普通の女の子なんだって思い出しちゃって。そしたら、たまらなく愛おしくなっちゃって。幸せになって欲しくなったの」
そう言って、愛おしくてたまらないとでも言うような表情を浮かべる。
「普通に大学を卒業して、東京に行って、仕事も上手くいっていて、恋人がいて、プロポーズされて。ね? 愛花ちゃん、幸せになったでしょう?」
そんな顔をされたら「幸せだ」と言うしかなくなることを、わかっているのだ。この女は。
「……幸せだよ。幸せだけど、あんたとずっと一緒にいても、同じくらい幸せだったよ」
震えた声に、美珠が少し驚いたように目を見張った。ざまあみろ。
「……あはは。愛花ちゃん、手を出して」
笑いながら、私の左手を取って立ち上がらせる。美珠は、拾って来た指輪を私の薬指に嵌め、微笑んだ。
「あのね、愛花ちゃんに美珠の美魂、全部あげる」
𖥧 𖥧 𖥧
アパートの部屋で目を覚ました。扉が開く音がして、樹くんが帰って来る。
「ただいま」
「おかえり」
「体調、どう? なるべく早く帰って来たんだけど……」
「大丈夫だよ。あのね。重大発表があります」
「な、なに?」
少し重たい自分のお腹をさすりながら、間抜けな顔をしている樹くんに、笑った。
「女の子でした」
「ほんと? そっか、そっか……?」
「帰って来るまで、考えてたの」
「なにを?」
「名前。あのね」
「“美珠”にしようと思うんだ」
「可愛い名前だね」
「でしょう?」
私の呪いを思い出す。あの子と結んだ、儚い約束も。そのすべてを、愛している。
𖥧 𖥧 𖥧
「美珠のみたま」
著者|柚里カオリ
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