むかしむかしのお話。この田染の里に毛むくじゃらの赤鬼がやってきて、人間を食べるという。それを聞いた熊野の権現さまは、何かよい方法はないかと考え、そして、いち夜のうちに百の石段をこしらえたら許してやろうと約束した。
権現さまは、とうていできるはずはないと思っていたが、なんと赤鬼は、ひょいひょいと石を担いで、あっというまに 50段をこしらえた。その早いこと早いこと、見る見るうちに99段築いたのだった。おどろいた権現さまは、100段目の石を担いだ赤鬼の足が山かげに見えたとき、「コケコッコー」とにわとりの鳴き声をまねした。 赤鬼は、「負けたあ」と最後の石を担いだまま逃げ出していった。
熊野山たいぞう寺から、磨崖仏を通って熊野権現さままで続いている石段は、この赤鬼が築いた石段といわれ、今でも多くの人々に親しまれている。
磨崖仏石段登り口案内板より
写真2
田染の荘(たしぶのしょう)
743年の墾田永年私財法の成立により開墾された宇佐神宮の荘園のひとつ。平安〜鎌倉時代の集落や水田の位置は現在も殆ど変わらず、中世荘園村落の姿が受け継がれている。鬼の伝承にふさわしい舞台です。
写真3
鬼の石段を登りきる手前、高さ8メートルの巨大な不動明王像。一般の不動らしい憤怒相ではなく、優しい慈悲の相が特徴。
写真4
不動明王に向かい右手奥、対照的に引き締まった表情の大日如来像。高さ6.8メートル。
昔話に登場は赤鬼1匹ですが、お友達の青鬼も作りました。
写真5
昔話では悪者だった赤鬼ですが、国東地方に伝わる「鬼会(おにえ)」という行事では、鬼は人間の先祖であり、鬼に会う事は目出度い事とされていると聞きました。鬼を追い払うでなく鬼に姿を変えた仏を出迎えるという、平安朝以来の珍しい考えのもとに行われると解説されています。
毎年旧正月7日他、豊後高田市の天念寺、国東市の岩戸寺、成沸寺で鬼会は開かれ、1300年続く天念寺鬼会は国指定重要無形民俗文化財となっています。
国家安泰、五穀成就、無病延命を祈願する法会等の後、鈴鬼(男女) の舞が荒鬼を呼び、赤と黒の荒鬼は松明を振り回す演舞、そして見物客を屈ませ松明で肩や背中を叩いて回り、 これが1年間の無病息災に繋がるといいます。
むかしむかしのお話。この田染の里に毛むくじゃらの赤鬼がやってきて、人間を食べるという。それを聞いた熊野の権現さまは、何かよい方法はないかと考え、そして、いち夜のうちに百の石段をこしらえたら許してやろうと約束した。
権現さまは、とうていできるはずはないと思っていたが、なんと赤鬼は、ひょいひょいと石を担いで、あっというまに 50段をこしらえた。その早いこと早いこと、見る見るうちに99段築いたのだった。おどろいた権現さまは、100段目の石を担いだ赤鬼の足が山かげに見えたとき、「コケコッコー」とにわとりの鳴き声をまねした。 赤鬼は、「負けたあ」と最後の石を担いだまま逃げ出していった。
熊野山たいぞう寺から、磨崖仏を通って熊野権現さままで続いている石段は、この赤鬼が築いた石段といわれ、今でも多くの人々に親しまれている。
磨崖仏石段登り口案内板より
写真2
田染の荘(たしぶのしょう)
743年の墾田永年私財法の成立により開墾された宇佐神宮の荘園のひとつ。平安〜鎌倉時代の集落や水田の位置は現在も殆ど変わらず、中世荘園村落の姿が受け継がれている。鬼の伝承にふさわしい舞台です。
写真3
鬼の石段を登りきる手前、高さ8メートルの巨大な不動明王像。一般の不動らしい憤怒相ではなく、優しい慈悲の相が特徴。
写真4
不動明王に向かい右手奥、対照的に引き締まった表情の大日如来像。高さ6.8メートル。
昔話に登場は赤鬼1匹ですが、お友達の青鬼も作りました。
写真5
昔話では悪者だった赤鬼ですが、国東地方に伝わる「鬼会(おにえ)」という行事では、鬼は人間の先祖であり、鬼に会う事は目出度い事とされていると聞きました。鬼を追い払うでなく鬼に姿を変えた仏を出迎えるという、平安朝以来の珍しい考えのもとに行われると解説されています。
毎年旧正月7日他、豊後高田市の天念寺、国東市の岩戸寺、成沸寺で鬼会は開かれ、1300年続く天念寺鬼会は国指定重要無形民俗文化財となっています。
国家安泰、五穀成就、無病延命を祈願する法会等の後、鈴鬼(男女) の舞が荒鬼を呼び、赤と黒の荒鬼は松明を振り回す演舞、そして見物客を屈ませ松明で肩や背中を叩いて回り、 これが1年間の無病息災に繋がるといいます。