香りに迎えられて
「東京にも、ひとつだけ味噌蔵がある」そう聞いて、わたしたちが訪れたのは練馬区中村橋。駅を降りて10分ほど歩くと、大きな看板が見えると同時にほのかに大豆の香りがただよってきました。
のれんをくぐり中へお邪魔すると、ひんやりとした蔵の中にもくもくと湧き上がる湯気。「どうぞ」と迎えてくださったのは、糀屋三郎右衛門 7代目の辻田雅寛さんです。
「今ちょうど、白米が蒸しあがったところですよ」。
麹・お味噌屋さんとしての創業は明治中期。この建物自体は築80年ほどになるといいます。
「ここにある木桶は古いものだと100年以上前のものです」。辻田さんの周りには年季の入った機械たちが立ち並び、その先には大きな大きな木桶が連なるという迫力満点の光景が広がっていました。
今回見せていただくのは、味噌づくりの作業工程のうちの一部。というのも、味噌づくりの工程は大きく2つに分かれるのだそう。ひとつは、味噌の発酵に欠かせない微生物を繁殖させる麹(こうじ)づくり。もうひとつは大豆と合わせて木桶に詰めていく仕込み作業。どちらも完成までには熟成の期間を要します。
出来合いの麹を使って味噌をつくるメーカーも多い中、糀屋三郎右衛門では麹から手で丁寧につくられている、ということで今回は「麹づくり」の工程をメインに見学させていただくことにしました。
味噌の肝、麹づくり
麹とはカビのこと。発酵食品である美味しい味噌をつくるには、美しい麹が必須です。
「麹をつくるには水分量を調整する必要があるので、お米は炊くのではなく甑(こしき)と呼ばれる桶で蒸すんです。浸け米(つけまい)といって前日から水に浸しておき、1日2回に分けて蒸していきます。今日蒸したお米は全部で280kg」。
淡々と力作業をこなしていく辻田さん。ここ、糀屋三郎右衛門の味噌づくりは、安心安全な国産原料を厳選し、ひとつひとつの工程に手間ひまをかけて人の手でつくられているのが特徴です。
蒸しあがった白米を軽く混ぜほぐしたら、ざるに移して次の作業場へ。
「大きな入れ物へ白米を移し、やさしく混ぜて余熱を取りのぞいたら、麹菌を散布して手で揉みほぐしていきます。手揉みという工程です。米ひと粒ひと粒に菌を混ぜ合わせるための重要な作業です」。
「固さや熱温度などの微妙な違いに合わせて臨機応変に揉み方を変えられるのは、人の手だからこそなんですよ」と辻田さん。
先代までは取材陣の立ち入りを禁止していたというこの場所。みなさん無言で手揉みをされており、白米の「サラサラ」というやさしい音が鳴り響いていました。
「次に、室(むろ)の中に麹菌のついた白米をおさめる“引き込み”作業をします」。
室自体を覆っているのは栃木県の大谷石。石の穴がほどよく空気や水分を含み、断熱、保湿に適しているそうです。
「温度管理を徹底した室の中で、麹蓋(こうじぶた)と呼ばれる木の箱に白米を盛り分け、藁(わら)の菰(こも)をかぶせて、うちでは一昼夜寝かせます。するとその間に麹菌が育つんです。種から根が出て、芽が出るイメージですね。3日目には花が咲くように麹ができあがるので、3日麹(みっかこうじ)といわれているんです」。
ちょうど3日前に寝かせはじめ、本日できあがったばかりの麹を見せていただきました。
真っ白な花が一面に咲いたような、息をのむ美しさ。
「味噌づくりの工程で一番好きなのが、麹づくり。大変なんだけど、常に完成形がないところが面白い。仮にすごくいいものができたとするじゃないですか。でもそれをもう一度再現するのはすごく難しいんです。そのときの気温や湿度なんかで変わってくるからね。そこが魅力的」。
道具とともにつくり続ける
糀屋三郎右衛門では「手づくり」にこだわり、昔ながらの製法で麹と味噌を代々つくり続けています。作業の相棒ともいえる、辻田さんのお気に入りの道具をうかがってみました。
「『掻き桶』と『ぶんじ』かな。桶は原料をすくったり運んだり、どんなときにも必要なもの。ぶんじは一見スコップのようだけど、掘り起こすのではなく、混ぜ合わせるためのものだから大きなヘラみたいな感じ。どちらもかなりすり減っちゃったけれど、使い続けてきた分、手に馴染んでいます」。
最初に見せていただいた白米を蒸す際の木桶をはじめ、ここで使われる道具はほとんどが木製です。
原材料のみならず、道具選びにもこだわりが光ります。
「作業工程において、プラスチックや金属が麹や味噌に触れることが嫌なんだ。人の身体はもちろん、製品をつくる素材そのものにも、できるだけやさしいものを使いたいんだよね。ただ、木桶も掻き桶もぶんじもそうなんだけど、これだ、と思うものを新しくつくったり、修理してくれる職人さんがいなくて困っているのが現状です」。
味噌職人としての想い
2日間寝かせてできあがった麹に塩を混ぜた「塩きり麹」と、蒸した大豆とを混ぜ合わせたら、味噌を踏んで空気を抜きます。落し蓋をして重石を乗せたら、最低でも1年は時間をかけて発酵熟成させます。
頃合いを見て、味噌の上下を入れ替えるように混ぜる「天地返し」を行い、味噌表層の発酵熟成を促したら、ようやく味噌が完成です。
味噌づくりをはじめて30年超だという辻田さん。味噌職人になることは自然の流れだったといいます。「子どものころからずっとここで味噌づくりを見てきたからね。とくにやりたいというわけではなくても、親がどういうものをどんな風につくっているのか、おぼろげにわかっていたりはするし、無意識のうちに、出来不出来が香りでわかってきたりもする。自然と素地がつちかわれていたことはありがたかったなと思います」。
つくり続けてきた中で変わってきた部分をうかがってみると、「その時代に合ったつくり方、味が残ってきたというのはあるけれど、基本的には変わって来なかったと思います。ただ、今が一番の確変期じゃないかな」と辻田さん。
「これからは麹づくりに大切な温度管理がすべてデジタル化できたり、麹菌などの微生物も、新しく見つけるのではなく、遺伝子操作でつくっていく時代になるんじゃないかな。SFの世界みたいに、ロボットにプログラミングしたりして。とはいえ、味噌づくりって感性も含めた究極にアナログな作業だから、全部が全部は難しいかもしれないけどね」とたのしそうに語ってくださいました。
辻田さんは小学校や地域のイベントで、味噌の魅力や味噌づくりを教え、伝える活動も行なっているのだそうです。伝統を守りつつも、時代の流れに寄り添い、未来へ目を向ける。絶えず受け継がれ、また、受け継いでいく職人としてのしなやかさのようなものを感じました。
「変わる」からおもしろい
おすすめの味噌4選を特別に味見させていただきました。
味噌を食べ比べるという経験は初めてだったのですが、すべてにはっきりと味の違いを感じました。どれも、しょっぱいという味ではなく、甘みやコクを感じる味わい。こちらで製造されている味噌は、これ以上控えられない、というほどに塩分が控えられていることも特徴なのだそうです。
辻田さんのお気に入りは、京の里とお袋自慢を混ぜた、合わせ味噌。「うちの味噌を『美味しい』と言ってくれる人が増えるように、ただそれだけを思ってつくっています。手前味噌だけど、どれも本当に美味しいんだよ」。
わたしは、大豆より麹が2割多く入っているというコクが強めの「京の里(赤味噌)」、カメラマンは練馬の名物としても公認された、甘みのある「すずしろ(白味噌)」が好みの味でした。辻田さんの奥さまいわく、赤味噌は出汁いらずで使えるそう。
ちなみに味噌の保存方法は、冷凍がいいとのこと。
「1ヶ月で食べきるのであれば冷蔵庫で大丈夫。2ヶ月かかるなら最初と最後で味が変わるので、それが気になるようなら冷凍保存すると、発酵熟成の速度を遅らせることができますよ」。
とはいえ、じょじょに味が変わっていく、というのは発酵食品の魅力のひとつでもあります。
「味噌みたいに発酵熟成させる食品は、同じ材料で同じようにつくっても、そのときのサイクルで味に違いが生じることがあるんです。その人が1パックを食べきるまでにも味が変わっていくしね。その味の変化も、みなさんにたのしんでもらいたいですね」。
長年、地元の人々にも愛され続けている糀屋三郎右衛門には、そんな味の違いをたのしまれているお客さまも多いそう。「『今回の味噌は一段とよかった』とか『いまいちだった』とか、ストレートに意見をくださる方がたくさんいるので、勉強になるし、励みにもなります」。
お味噌汁に、お野菜のディップに、焼きおにぎりに。添加物一切不使用の天然醸造、手づくり味噌を、ぜひみなさんも味わってみてはいかがでしょうか。時間をかけて丁寧につくられた味噌を取り入れた生活、今以上に健やかに過ごせるはずです。
次回の探訪もおたのしみに。
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