藍の役割
あたたかい風が吹く、カラッと晴れた春のとある日。わたしたちは埼玉県の北部に位置する加須市(かぞし)へ向かいました。駅から歩くこと数十分、住宅街の中に佇む小屋の中へ。
「ようこそ」と気さくに迎えてくださったのは、武州正藍染の伝統工芸士・石塚新吾さんです。
武州正藍染の“武州”とは、武蔵国と呼ばれた埼玉県広域を指します。江戸時代、特に北部では綿、藍が盛んに栽培されており、加須市、行田市、羽生市近辺には、最盛期に200軒近くの藍染屋があったと言われています。“正藍染”とは天然素材のみを使用した藍染のこと。
「藍染はもともとは“野良着(のらぎ)”といって農作業をするときに着たんですよ。自然原料の藍は日よけにもいいし、虫除けにもよかった。さらに防臭効果もあるので、武士の鎧下の服や防具にも使われるようになり、その後は剣道着や足袋、袴なんかにも藍染が使われるようになりました」。
歴史ある藍染の中でも、“武州藍染”にはある特徴があると言います。
「このあたりの井戸水は他の地域よりも鉄分を多く含んでいたため、媒染作用で紫がかった濃い藍色に染まります。“勝色(かちいろ・かついろ)”とも呼ばれるその深い濃い色味が武州藍染の特徴なんですよ」。勝色は“戦に勝つ”という意味にかけて、武士の間でとくに好まれた、という一説も。
濃淡でさまざまな表情を生み出す藍染。その工程を見学させていただきました。
「自然」とともに
「この水槽の中には藍の原料である“すくも”をはじめ、さまざまな自然の素材が溶け込んでいます。秘伝のタレを長年、継ぎ足して守るように、わたしもすこしずつ手をかけながら、この染料を保ち続けているんですよ。武州正藍染はほとんどが先染め(さきぞめ)と言って、糸を藍で染めて、その糸を機織り機にかけて製品を仕上げています。うちも昔はそうしていたのですが、時代の移り変わりとともに、今は生地自体を染めて、製品をつくりあげることがほとんどになりました」。
石織商店では、天然材料のみを使用した本藍染、化学薬品も使用したインディゴ、の2種類の染め方を行っているそう。水槽からは、いい香りとも嫌な香りとも言い難い、独特な香りが広がっていました。「植物ならではの香りがするよね」と石塚さん。
平均で6~8回ほど、染めては洗い、を繰り返して色味を定着させていきます。生地を浸ける時間が長い分だけ濃くなるというわけではなく、絞り、空気にさらすことで酸化し、発色していくそう。カラッと晴れた春の日差しはまさに、絶好の藍染日和。
ちなみに藍染は原料が植物なので、洗ったときに出る水は青ではなく、茶色っぽい色味になるというから不思議。染めを繰り返して茶色の水が出るということは、藍染が生地の表面に定着したということで、それを「枯れる(かれる)」と表現するそうです。
数ある柄の中でも、石塚さんが特に力を入れているのが、濃淡を生かしたグラデーションと無地の青縞。グラデーションはすこしずつ、染めて絞ってを15回ほど繰り返すそう。青縞を均一に染めるには技量が必要です。「手間がかかるものを、きちんと手間をかけて仕上げたいんです」。
そして、絞った藍染作品を干すときは必ず屋外へ。「原理的には乾燥機でもいいのかもしれないけれど、自然の素材でつくり、自然の中で干すということには意味があると思っています。風や光、紫外線なども含めて、自然のものだけでつくることって、何か味わいのようなものに作用している気がするんですよ。うまくは言えないけれど(笑)」。
天日で干すこと約1週間。
藍の色、柄が生地にしっかり定着したら、完成です。
「つくり続ける」という選択
武州正藍染の技術を引き継ぎ、4代目となる石塚さん。東日本大震災以前は、150坪ほどの敷地に工場を構え、機織り機が鳴り響く中で制作されていたと言います。
「うちは100年以上、藍染を生業としていたので、建物自体が大正末期のもので老朽化していたんですよ。地震で瓦もすべて落ちてしまいました。それでも絶対に絶やしてはいけないなと思ったんです。なんといっても、こんなに美しい色、他にはないでしょう?親父が亡くなったこともあり、思い切って場所もスタイルも一新して、今は染めだけに徹底して続けているんです」。
「続ける」という覚悟を胸に、時代に寄り添いながらさまざまな作品を制作されている石塚さん。その一部を見せていただきました。
どれも自然と偶然とが重なって完成する、正真正銘の一点ものです。
自分の手で全国へ
実は高校卒業後、「藍染の生地を使って洋服をつくりたい」という想いから、東京モード学園で服飾を勉強されていたという石塚さん。今後、制作してみたい作品についてうかがってみました。
「藍で紙を染めてほしいとか、枕に入れる綿を染めてほしいとか、いろんなお話がきますけど。いちど自分の手でつくってみたいのは、スーツかな。奇抜でおしゃれな男性ものをつくってみたいですね」。
現在は制作の他、全国のデパートやイベントに自ら足を運び、藍染の魅力を伝え続けている石塚さん。伝統ある武州藍染の技を磨きながら、制作場所や手法スタイル、デザインなど、新しいことにも次々とチャレンジされている姿が印象的でした。
深い色味の武州正藍染は、同時に涼やかな印象もあります。これからの時期、ぜひ注目してみてはいかがでしょうか。
次回の探訪もおたのしみに。
取材・文 / 西巻香織 撮影 / 真田英幸
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