執筆:中前結花 イラスト:田室綾乃
「葡萄(ぶどう)色」とは
そもそも「葡萄色」とは。
実はふたつの読み方があり、葡萄色(えびいろ)と読む場合には、 山葡萄の実のような薄く渋い紅色のことを指し、葡萄色(ぶどういろ)とする場合には、わたしたちがよく口にする、果物の「ぶどう」の果皮のような、深いパープルを指すのだそう。
秋冬のファッションにも馴染む、上品さと妖艶な印象を掛け合わせたような、その魅力にうっとりとしてしまうカラーです。
実は、今回のテーマに選ぼうと考えていたのは「空色」でした。
ところが調べるうち、わたしが思い浮かべる「見事な空」は、いつでも「葡萄色」なのではないか?ということにすこしずつ気づきはじめた…
そんな葡萄色同様に、いつまでも深く味わっていたいような、思い出の空の話です。
四角い空の色
「心地よい秋晴れがー」
朝食の支度をしながら、小さな音でテレビをつけていたら、そんな会話が聞こえた。
その日はTwitterでも、
「見事な秋晴れだ」
「上を見上げたらきれい」
と、なんだか空について言及しているひとがやたらと多くて、仕事机に向かって腰を下ろして窓越しの四角い空を見上げたら、たしかにずいぶんと青色が濃かった。
「そうか、こういうのを“秋晴れ”と言うのか」
といい歳をして、はじめて知ったような気分になる。
雲なんかほとんど見えなくて、高く高く抜けるような空だ。
窓越しのこんな四角く切り取った一部だけでこれだけ見事なんだから、外に出て散歩でもすれば、さぞかし気分がいいんだろうなあと考える。
考えはするけれど、わたしが向き合わなければいけないのは、今日だっていつもの四角い液晶だ。
「秋晴れ」でもなんでも締め切りはやって来るから、仕事に取り掛かることにする。
そうだ「空色」について書いてみようか。
思い立って、「空色」についてすこし調べてみた。
すると「晴天時の明るく淡い青色」とあり、「そうか、やっぱり今日みたいな空の色なのか」とひとりごつ。
けれど、わたしが「この光景は、なんだか一生忘れないんじゃないか」と思った空は、これまでに4つあって、そのほとんどは「淡い藤色のような上天で、遠くは葡萄色にゆっくりと染まりはじめている」そんな様子だった。
わたしが好きな空は、「空色」ではなくて「ゆっくりと深くなっていく葡萄色」なのか…と、それぞれの光景のことをぼんやりと思い出していた。
みんなの空
ひとつは、去年の9月の空だった。
久々に会う友人と、わたしは映画を見る約束をしていて、ひと足先にたどり着いた。
場所は、日比谷のミッドタウンだ。
たっぷりと余裕を持って、待ち合わせ場所に立っていることなんて、わたしの人生では数えるほどしかない。
なんて気分がいいんだろう。
建物の中に入ろうとしたけれど、気候もちょうどいいから、出入り口の前に広がるちょっとしたスペースでベンチにしばらく腰かけてみることにする。
携帯電話に目を落とすわけでもなく、本を読むわけでもなく。
ただ本当にぼんやりと座っていたら、あたたかくも涼しくもない風がすーっ、すーっと通り抜けて、無色透明のきれいな風がなんだか見えるような気がした。
あたりを見渡すと、あちらこちらに腰をかける人がいるのだけど、みんな何にも夢中にならずに、ただ風に髪を撫でられながら、ぼんやりとそこに座っている。
なんだか不思議な光景だった。
行き交う人たちも居るには居るけれど誰もせかせかとはしていなくて、遠くでゆっくりと染まりはじめた葡萄色の空をどこか気にしている人が多いように見える。
「なんて心地いい時間なんだろう」
土曜日の夕暮れ時は、なんだかみんながちょっと幸せそうだ。
これから誰と会って、どこに行くんだろうか。
わたしは嬉しくなって、
「外、気持ちがいい。空と風がすごくいいよ」
と友人にメッセージを送ってみた。ほどなくして、彼女から返事が届く。
「わたしも。気持ちいいね」
空ってみんなのものなんだな、とそのときはじめて思った。
名画みたいなひとたち
もうひとつは、それからほんのすこし後の、去年の11月のことだった。
わたしは、古道具や雑貨なんかが集まる「蚤の市(のみのいち)」がなによりも好きで、時期が近づくとたのしみでたのしみでうずうずとしてしまう。
けれど、その秋はいつもとすこし状況が違っていた。
恋人と「一緒に行こう」と1ヶ月前に約束をしたのだ。
わたしから誘って、彼が快諾してくれたかたちだった。
だけれど11月に入って、思いがけず、ふたりは別れに向けて歩いているような感覚があった。
なんと薄情かと自分でも思うのだけど、
「あの、蚤の市の約束は生きているのだろうか?」
という心配が、わたしをなにより不安にさせていた。
「蚤の市には行くのだろうか?」
「ひとりで行ってはだめだろうか?」
自分の「蚤の市」への情の深さに自分でも呆れてしまうけれど、
それこそが、なんだか先延ばしにしている「答え」についても、ついにはっきりとさせているようでもあった。
そうして、事態をなんとか締めくくり、
「よし、ひとりで蚤の市に行こう!!!!」
と心配事にも片がついた。
「明日だ」
と前日の夜に、またもうずうずしていると、会社の仲のいい先輩から
「何時に行くの?」
と当たり前のように連絡がきた。
「何時でもいい!ずっといる!」
と返事して、現地で落ち合うことになる。
ひと通り、広々とした敷地内を見てまわり、飲みものなんかも飲んだあと、
それぞれ思い思いに買い物をたのしんでいた。
わたしは、器や古いポスターやブローチなんかを抱えて最高の心地で歩いていると、
「18:00です。閉園となりましたので、みなさまご帰宅をお願いします」
といよいよ放送が鳴りはじめた。早いものだなあ、とさみしく思う。
係のひとたちも、メガホンを使って一生懸命叫んでいる。
「18:00です。閉園となりましたので、みなさまご帰宅をお願いします」。
だけれど、みんなあまりにも幸せそうな顔をして、まだまだ器や帽子なんかを眺めている。
放送が聞こえてないのだろうか。
売っている人たちもにこにことして「いいでしょう」「いいですね」だなんて話している。
そのとき、わたしは通りすがりに見つけたブローチに目が釘付けになる。
木材でできた見事な美しさだった。
「どうしても欲しい」
わたしは心の中で何度も「すみません、すみません」と唱えながら会計に向かう。
「18:00です。閉園となりましたので、みなさまご帰宅をお願いします」
その声は遠くでずっとリフレインしているのに、
幸せそうな人たちが、葡萄色に染まりかけた夕空の下で、まるでふわふわと舞っているようにわたしには見えた。
どのひとも、「無くても困らないけれど、あるといいなあ」という自分だけのたのしみを探して、思い思いに秋の夕暮れを舞っている。
なんだか、まるで、名画でも眺めているような気分だ。
さすがに帰らねばと決心し、「どこにいるの?」と先輩にメッセージを送ったら、「わからない」と返ってきた。相変わらずいい加減だ。
「どこにいるの?」とこちらも問われたけれど、わたしにだってよくわからないから「わからない…」と返事する。
手に入れたブローチを宝物みたいに握りしめて、葡萄色が濃くなっていく空の下をふわりふわりと歩いていたら、先輩は、いわゆる「フォトスポット」と呼ばれるようなところで、大量の買い物袋を持って立ち尽くしていた。
「そこ、邪魔ですよ」と送ろうとしたら、わたしのところにメッセージが届く。
「どうしよう。なんか、みんなわたしの写真撮ってる…」
思えば、マスクをしていると「幸せそうな顔」がどうにも見えないんだよなあ。
またいつか、あんな幸せそうな顔で溢れた場所を、この先輩を誘ってふわりふわりと歩きたい。
葡萄色のアイテムをひとつ
せっかくなので、気になる葡萄色…というよりも「こんな空の色でした」という作品をご紹介します。prism glassさんはいつも「あの日の空みたい」「あのとき行った、旅行みたい」と情景やそのときの気持ちまで思い出してしまうような、うっとりする作品を制作されています。
来月は、どんな色にしましょう。どうぞ、おたのしみに。
第8回になりました。今回のテーマは「葡萄色」。やさしくて包み込んでくれるような、空と時間の情景を思い浮かべていたので、ぜひ田室綾乃さんに描いていただきたいと思い、お願いさせていただきました。ポップで鮮やかな色使いながら、ふわりとやわらかで幸せな気持ちをもらえるような、そんなイラストを丁寧に描き上げていただき、大切な思い出が本当に蘇ってきました。ありがとうございました。(中前結花)
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