林檎と水と中指と

林檎と水と中指と

ヒトを憂う時がある。 信頼を得たいと言いつつ不誠実だったり、中身が伴っていないハリボテの皮で誰かを動かそうとしたり ならないものをせがんで駄々を捏ねる子供みたいだと、思う 林檎を持ち上げて手を離せば落ちていくし、砂に水を溢せば元の水はグラスには戻らない。 至極当然な理のはずなのに、その無理を本気で欲する場面を時々、見る。 林檎を落としたくないのであれば手を離さなければいいし、落ちないところに置いておけばいい。「この水」がグラスの中にとどまって欲しいのなら、グラスが倒れない安定したところに置くか、溢しても受け止められる器を用意したらいい。 林檎を落としても手元に戻ってくればいいのなら、紐をつけるなりすればいいし、林檎であればなんでもいいのなら他の林檎を求めればいい。 「この水」に拘らないのであれば、新しく注げばいい。 不満があるのなら、満足のいく形に変えるにはどうするという方向に動くか、不満だと思わなければいい。 どちらか、しかないと思う。 話を例えから戻すと、 信頼を得たいのであれば、誠実に向き合えばいいし、誠実に向き合えないのであれば、信頼を得たいと思わなければいい。 誰かを動かしたいのであれば、中身を充実させてしっかりとプレゼンをしたらいいし、中身の充実が出来ないのであれば、誰かを動かそうと思わなければいい。 舐めた仕事をするのなら、薄い賛同しか得られない。 密度の高い仕事をするのなら、もしかしたら拡がりは遅いかも知れないけれど、しっかりと中身のある賛同が得られる。 恐らく、友人関係でも、恋人関係でも、同じ事が言えるのではないだろうか。 「その通りだ!全く同意見!」と言って頂く事もあり、ありがたいのですが、話を聞いた時にそう思っても、実生活で常に考えていないと、指摘したひとと同じ言動してますよ。 まさか自分の事を言われてる、なんて思ってもいないでしょうね。 不思議。 そう、この前頂いた、マーケティングのお話も市場調査が足りてなくてマーケティングのプロと名乗る方に対してマーケット事情教える形になったり 仕事に遅刻したら、せめてきちんと説明と謝罪くらいはしましょうね、と10コ近く歳上の方にお話したりだとか 飲食店で提供に重点置きすぎて衛生管理が店舗レベルではない、とか それで、ひとを率いたい、というのは、土台、難しい話なのですが。 それでも、ある程度、評価されてしまう。 何故なのか。 実情を知らないひとが釣れるから。 ハリボテの皮でも評価はされるんですよね。 私はそんな薄い称賛は要らないですけどね。

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