「人生に、完璧なんてほとんどない。それは、月がほとんど満月にならないのと同じように。」
僕たちが“本当の満月”を見られるのは1年のうちたった12日ほどしかないらしい。
それ以外の日は、ほとんど「欠けた月」だ。
でも不思議と僕たちはそれを“未完成な月”なんて思わない。上弦、下弦、三日月…。それぞれの月にはちゃんと名前があってその形に昔から美しさを見いだしてきた。
自分の人生もそんなふうに捉えられたらいいのに。完璧じゃなくても、欠けていても、どこか愛おしい。
そんなことを考えていると、肩の力がすーっと抜けていくのを感じる。
少しだけ僕自身の話をさせてほしい。
僕はこれまで自分の人生をずっと「不完全」だと感じてきた。いわゆる「満月」みたいな瞬間をちゃんと経験できたことがない気がする。
朝が起きられない。勉強が全くできない。人との関わりに戸惑うことも何度もあった。小中高と学校に行けない日が続いたこともあったし、大人になって会社に入っても上手くいかなかった。
それ以外にも、お箸や鉛筆の持ち方が上手く出来なかったりスマートフォンのタッチパネルやパソコンのキーボード操作も苦手だ。
まわりの“当たり前”が僕にはどうもうまくできない。
こうした“できない”が少しずつ積み重なって、いつもどこかで自分が世界から取り残されているような気がしていた。
それでも僕はずっと「ちゃんとした人生」を生きようとしてきた。まるで満月を追いかけるみたいに。
これはきっと僕だけに限ったことじゃない。誰もが少しずつ「自分の欠けた部分」に悩みながらそれでも前に進もうとしている。よりよく生きたいという気持ちはとてもまっすぐで尊いものだと思う。
けれど、ずっと満月を目指し続ける人生は、やっぱりちょっと疲れてしまう。
むしろ、月のように欠けたままで堂々としている方が、なんだか自然で清々しくさえ感じる。
それによく考えてみれば──僕たち動物もあるときから「男」と「女」に分かれたと言われている。生命のはじまりには性別も寿命もなかった。
そこから誰のいたずらか、完璧とは言えない“いまの形”へと進化してきた。
つまり、欠けがあることは“自然の法則”なのだ。
完璧じゃない。それがふつう。みんな、どこかが欠けたまま生きている。
だから僕も、それでいい。
いつか自分の人生にも欠けた月のような美しさを見いだせたら。満ち足りないままでも美しいと感じられる日が来たら──。
そんなことができたとき、きっと少しだけ、幸せに近づける気がする。
春の夜長、そんなふうに思いながら気付けば眠ってしまっていた。
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「BLUE MEMO – Wednesday Column」
週の真ん中、水曜日。ちょっと肩の力を抜いて、リラックス。そんなコラムをお届けします。
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