「せどり」という言葉をはじめて耳にしたとき、
意味がわからずネットで調べた記憶があります。
「競取り」もしくは「糶取り」と書き、
物品の買い値に利益をのせて販売することだそうです。
平たくいえば「転売」というところでしょうか。
モノを右から左へ転がすような乱暴なイメージも否めません。
物販ビジネスとは総じて広義の「せどり」だともいえます。
生産(製造)者とお客さまとのあいだに立って、
営業や販売をおこない、利益を得ます。
言葉にすると似ていることに気づきます。
まっとうな物販と「せどり」のあいだに境界線を引けるとしたら、
それは〝仕事量〟の差で決まるのかもしれません。
たとえば古物の市で、ボロボロの時計を見かけたとします。
「せどり」にいそしむなら無視を決めこむほうが得策です。
そのままではなんの利益も産みださないばかりか、
あまつさえクリーニングや修理にお金がかかります。
コスパが悪すぎて「せどり」には向かない代物です。
わたくしどもは、周囲を見回しながら、
「困ったな〜」と考えています。
困ってしまう理由は2つあります。
ひとつは「せどり」屋さんが思うのと同じ理由です。
これは商売にならないからやめとけーー。
プロとしての直感が、そうささやきます。
もうひとつは、もっと深刻な理由です。
この子(時計)が、本来どんなモノで、
現状として何がどう悪くて、
どこをどうすれば良くなるのかーー。
そういうモロモロを理解し、
なおかつそのノウハウを知る者となると、
この場にはたぶん自分たちしかいない……。
時計の命運が託されたかのような、
いいしれぬプレッシャーと葛藤に
「困ったぞ……」と音をあげてしまうわけです。
わたくしどもはモノが「右から左へ」流れてゆく様子を
指をくわえて傍観(スルー)する「商才」というものを欠くようです。
それは信条とかポリシーとかいった高尚な理由からではありません。
そこに自身の仕事を加えることで、
より多くの利益を得たいと願うからでもありません。
たんに「おせっかい」だからです。
見て見ぬふりができないーー。
モノ(が)好きな人間とは、
えてしてそういうものだと思います。
どうやらわたくしどもは、
資質的に「せどり」には向いていないようです。