現代時計は51/100 (ヒャクブンノゴジュウイチ)

現代時計は51/100 (ヒャクブンノゴジュウイチ)

懐中時計の時代から、 小型化や複雑化などめざましい発展を遂げてきた機械時計。 1969年のクオーツ時計の販売開始(セイコー)により、 その様相は一変します。 それまで時計の「精度」とは、 職人たちの仕事量と技術の高さに比例するものと考えられていました。 つまり手間をかければかけるほど、優秀な時計と見なされ、 事実、高級品ほど精度も確かなものでした。 手工藝品としての価値も当然、 同様のものさしで決していたことは言うまでもありません。 クオーツ時計は、 そんな従来の価値観を根底から覆す発明品でした。 小さな石や煉瓦を積み上げて築かれた壮大な牙城は、 テクノロジーという爆風で一瞬にして吹き飛んでしまいました。 クオーツ時計にあっては、 精度の達成などもはやあたりまえ……。 目標にも課題にもなりませんでした。 先人たちの苦労が莫迦ばかしく思えるほどに、 易々と精度の壁を乗り越えた新時代の時計。 ただし、その代償も小さくはありませんでした。 かつて家宝とあがめられた工藝品としての価値を、 時計は失ったのです。 ここにおいて、わたしたちが見落としがちな、 ある重大な変転が世界にもたらされていました。 それはクオーツ時計という大発明以上に、 ある意味、大きな出来事といえます。 それは「時計とは〝時間を知る道具〟である」と、 事実上そのさいに定義がなされたことです。 再定義……あるいは矮小化といってもいいかもしれません。 時計はそれまで「時間を知る道具」ではありませんでした。 時間を知ることは、 職人たちがその精度に執着したことからも自明のように、 むろん時計に課せられた「ひとつの役目」ではありました。 しかし、時計とは古来、 天文学や機械工学に精通したマイスター(達人)らが、 時間という自然の摂理を小さな空間に閉じこめ、 「その小宇宙をわがものとして支配したい」、 「それが叶わぬものなら、せめて身につけていたい」、 ーーそう志して創造した夢の筺(はこ)でした。 そこには星の運行や月の満ち欠け、閏月の反映など、 あらゆる学術的な考察を要する知的アプローチと、 それを具現化する高度な設計力、緻密な工作技術が求められました。 そして、それに要する費用と設備をまかなう経済力も必要でした。 中世ヨーロッパにおいて、時計が爆発的な発展を遂げた背景には、 天才的な時計師たちにくわえ、同様の夢を時計に託す、 王侯貴族というパトロンの存在がありました。 一級の工藝品であり、最新の精密機器であった時計が、 20世紀の後半まで「贅沢品」や「家宝」と位置づけられていたのは、 そんな機械時計の歴史が影響していたからにほかなりません。 時計とは卓越した知力と技をもつ職人によって創造された工藝品であり、 金銀や宝石にもまさる財産だったのです。 時計はまた、 自身のステータスを周囲に知らしめる雄弁な「メディア」であり、 個性とセンスを表現してくれる有能な「分身」でもありました。 現代の「時間を知る道具」としての時計に、 そのような文化財としての〝奥行き〟はありません。 時計の購買がホームセンターのカウンター越しにではなく、 遮蔽された優雅なサロンで儀式にも等しい手順で行われていた事実が、 時計の在りかたや重みの違いを端的に物語っています。 時計は今、「時間を知る道具」として人びとに認識されています。 機械時計がクオーツ時計に負けたのではありません。 機械時計はクオーツが提唱するイデオロギーに敗れたのです。 「時計とは時間を知る道具である。」という理念(イデオロギー)にです。 なるほど時計の存在理由をおおざっぱに〝四捨五入〟すれば、 古来より「時間を知る道具」ではありました。 ただし先に述べたような〝それ以外〟の要素を抜きにして、 時計という存在を語ることはできません。 しかし、たとえ51対49の僅差であっても、 いったん雌雄が決すれば「51」の要素のみが公認されて、 「49」は切り捨てられるのが世の常……。 「51」は延べ棒で引き伸ばされたパスタのように「100」として振る舞い、 「49」はいつしか世の中や人びとの記憶からも消え去ってゆきます。 文化財としての時計(100)が、 時を知る道具(51)に矮小化した瞬間です。 わたくしどもは、かの時代の変転を、 おおむねそのようにとらえています。 時代が切り捨ててしまった49の要素……。 〝それ以外〟の魅力を備えていたころの時計こそが、 100点満点のほんものであり、愛好に足る品であるーー。 わたくしどもはそう考えます。

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