minneデビューして3か月ちょっとですが、様々な作品のご注文をいただいておりまして、大変ありがたいことですm(__)m
本を書いて購入していただいたとき、映画祭に出品した作品が上映作品に選ばれたというご連絡をいただいたとき、本当に嬉しく、同時に有難いことと痛切に感じたのをよく覚えています。
他にいくらでも選択肢がある中、自分が考案したものを選んでくれたことについて、ご購入下さった方、選出して下さった方々への感謝の気持ち。
それと同時に、その作品を通じて、自分以外のどなたかとの「感性の共鳴」というごく稀な現象が起こったことへの感謝の気持ちも大きいです。
つい先日のこと、モミの木デザインのレターパッドのオーダーが入りました。
この作品の原画は、透過処置、つまり、背景部分を透明にして、製品デザインに使いやすくする処置をしていなかったので、レターセットのデザインに使う際、どんなレイアウトにすればいいか、かなり頭を使いました。
仕上がりには、自分としては満足だったものの、他の人がどう思うかは、まったく別の話です。
これは、文筆、アニメーション制作、そして写真での経験から、いやという言うほど思い知らされています。
それだけに、購入して下さる方がいると、
「あーよかった!!!こういう感じのものがいいと思う人は、私だけじゃなかったんだ!」
と、ちょっとだけ孤独感が和らぐんですよね。
言うまでもなく…というか、もしかすると言うまでもあることかもしれませんが、制作は、それはそれは孤独な作業です。
孤独にも色々と属性の異なるものがあって、人によっては、孤独と言えば寂しさとほとんど同義かもしれません。
しかし、制作中の孤独感というのはそうしたものではなく、自分と作品しかいない、自分のいわゆる「世界観」で100%満たされた世界で、他の世界と全くつながっている感じがしない…空気の組成そのものが違うので、そこで呼吸できるのは自分だけ。
そんな感じの孤独感です。
快不快を敢えて問うなら、むしろ快が支配的な世界と言っていいでしょう。
制作がひとたび終わると、私は自分以外の人もみんな普通に息をしている世界に戻ってきます。
何とも言えず雑駁な世界で、これはこれで面白くもあり、得られるものも多くありますが、上述の孤独感とは違う、それこそ「寂しい」と同義の孤独感が支配的なのが、こっちの世界です。
というのは、先に述べた「感性の共鳴」が起こることが、あまりも稀なためです。
自分が作ったものをこうした世界に発表する際には、この作品に封じ込められた世界が分かる人、ここで息ができる人、こういう世界に感応するアンテナの人、自分以外にどのくらいいるんだろうと思うわけですが、経験上、そう大きな期待は持てません。
それだけに、購入して下さる方がいると、こっちの世界での孤独感が和らぎ、あっちの世界での孤独の性質も少し変わる気がします。
そんなわけで、モミの木レターパッドのオーダーが非常に嬉しかったので、そのニュースをインスタでシェアしました。
すると、驚いたことに、その写真を見た海外の方から、どうしたらオーダーできるかというコメントがつきました。
送料を計算する必要があったため、どこにお住まいなのか質問したところ、北マケドニアとのこと!
思わずgoogle mapsでどこの国だったか確認してしまいました^^;
地図で見る限りでは、私がこれまで訪問した地域としては、モスタールという町が一番近いです。
「あの界隈(?)の国かぁ~」
と懐かしく思いつつ、販売、発送準備の作業を進めました。
あのモミの木の原画を描いたときには、これを製品デザインとして使うことなんて全く考えていませんでした。
minneデビューをきっかけに製品デザインという世界にかかわるようになり、インスタ経由で、遠く離れた未知の国に、「感性の共鳴」が可能な人物を見出す。
現代的と言えば極めて現代的ですが、同時にやはりどこか不思議な感じが漂う話の展開だなぁと思います🐈
6 Sep 2020