「私と着物」についてレターします✉️

「私と着物」についてレターします✉️

私が今現在「着物リメイク」をするようになったいきさつとして、子どもの頃から着物👘と関わった影響は多分にあると思うので、そのお話をレターさせていただきますね✉️ 私は生まれも育ちも島根県浜田市の海辺の町で、着物の生産、折りや染め等が有名な土地ではありませんし、特に着物文化が盛んな環境、という訳ではありませんでした。 それでも子ども時代は昭和50年代でしたので、祖母や母親世代は一通りの着物を持っており特別な日には着物を着るという習慣はまだまだ残っておりました。 母親は入学式や卒業式、ひょっとしたら ( 記憶が定かではありませんが😓 ) 参観日なんて時にも着物を着ていた・・・?かもしれません。自装していました。 また、親戚に桑を育て蚕を飼う家がありました。行けば見せてもらい、蚕が桑を食(は)む音は今でも覚えています。 私自身が着物を着せてもらったと覚えているのは七五三や近所の神社のお祭り、お正月などです。町内の子ども達 ( ベビーブーム生まれなので大勢おりました。) のほとんどが赤色系の着物を着ている中、母が私に選んでくれたのは黄色い着物でした。その"ぱっ"と明るい菜の花畑のような色味がとても可愛くて、帯や小物も素敵で、すごく気に入っていました。 普段はガキ大将気質の地味顔でボーイッシュな私でしたが、その日は晴れ着でお洒落♡という特別感があり、いつもの私にはない心の奥の女の子らしい気持ちがウキウキとするのでした💓三歳から七歳まで着丈を繕って着せてくれた母に感謝です。今でもその黄色い着物は母が自室で大切に保管しています。私がもし女の子を生んでいれば喜んで着せたと思います。 浴衣も盆踊りの際には着せてもらいました。特に、体型が大人になって来たからと中学生時に誂えてもらった浴衣は忘れられません。 母が反物から選んで仕立てに出したのは、蝶の型染めの濃紺の木綿の浴衣でした。それに茜色と山吹色のリバーシブルの半幅帯を締めますので、子ども用浴衣とはまるで違って「大人として扱ってもらえた。」という気がしたのです。 どこで情報を仕入れたのかリバーシブルの帯の正面、胸の下を斜めに折り茜色一色の帯から裏面の山吹色のカットラインがシャープに出るような締め方を母はしてくれました。昭和60年代始めでしたから当時の町内で帯をそんな風にしているのは私だけで、えらく目立って注目の的になったような気がした出来事でした。 浴衣を誂えてくれたのも、変わった帯結びをしてくれたのも、元々着物好きで和裁も学んでいた母が日本舞踊を習い始めた影響大だったと思います。 町内に師範さんが誕生し、新しくお稽古をつけてくれるというので近所の奥さま方が一斉に日舞を始めた時期がありました。その内に稽古の成果を披露するというので衣装の着物を揃えたり、扇子や髪飾りがどんどん増えていったり、なかなかに楽しそうで忙しそうでした。 そんな中、仲間同士で着付けし合う必要性も出て来て、私がトルソー(マネキン)代わりとなり母の他装自主練習に付き合うようにもなりました。 私の気持ちはというと思春期真っ只中ですので、母に時間を奪われるのが腹立たしくイライラしながらその間を耐え忍ぶといった感じです。でも着付けが終われば姿見に写る着姿に目を奪われますし( 顔はコンプレックスから見ないようにして😅 )、祖母や父に「着たよ~」とカクカクしながら歩いて行って見てもらい家族孝行した気にもなりました。記念だからと写真を撮ってもらって、「うちの学校中で1番たくさん着物を着ているのは私だなぁ。」などと悦に入って即効脱ぎ散らかす、という日々でした。 母は特訓の甲斐あって(私のお陰もあって😁)、プロ並みに着付けが上手です。職場の同僚や近所の奥さま達が結婚披露宴に行くとなれば着付けを頼まれるようになり、その度に新しい帯結びをするというので私は練習台となり、着物に親しんで?いきました😅。 高校生の時「成人式のために振り袖を誂える。」と言われた時には、「勿体無い🙅!」と即断った私でした。着物自体は身近に感じていたのですが、自分の容姿にそんな高価なものを纏う自信はないし、その分のお金は別のものに使うべきと感じたからでした。しかし「親というものはそういったものではない」との説得に「では、レンタルで。」と渋々応じ、「これも親孝行。」と諦めこの写真を残すことができました😳 結局、成人式の時には既に婚約していたのでレンタルにして正解でした。本当に早々、二十歳を迎える前に婚約。結納、お正月、挨拶回り、と着物を着、結婚式当日も自宅に美容師さんに来てもらって白無垢で家を出ました。 訪問着、色無地、小紋、喪服、それぞれの帯など一式ずつ、当時さほど自分の着物に興味のない私にとっては立派すぎる支度で嫁がせてもらい、また、母が若かりし頃に着たという着物も譲り受け、有り難く且つ勿体無いことでした。その後は結婚披露宴に招かれれば着物を着、喪服の出番も1度ほどありました。 というように、この地のこの世代としては数少ない部類にギリギリ入るであろう「着物とは無縁ではない年月(特に着付け練習台時代)」を過ごした影響は、私の中に確かにあるとはっきりと意識できます。 母が時代と共に着物に対する興味を失っていれば、私が着物リメイクを始めることはなかっただろうと言えます。 なので、私の子ども時代からの着物との関わりについては大切な宝物と思い、レターさせていただきました✉️ 読んでくださりありがとうございました😊

レターの感想をリアクションで伝えよう!

手づくり作家

Decopoko GALLERY
作品を見る