看板犬闘病記⑤ 経緯〈二度目の手術から~再々発~逝去〉

看板犬闘病記⑤ 経緯〈二度目の手術から~再々発~逝去〉

【年末~1月下旬】 ・時間をかけ、ある程度日常生活を送れるまで回復するも、首が片側に曲がった状態。 ・歩く分には支障なく、多少は走れるが、止まって立っているとふらついたり、前足が折れてしまったり。  Dr.は、神経を取ったこととの関連性は否定しましたが、素人目には、やはり神経の影響ではないのかな、と。 ・時々、急に『あっ!』という感じで後ろ足がケンケン、ピョンピョンになってしまうことがある。  人間で言うと、『足がつった!』とか、『歩き方忘れちゃった!』みたいな雰囲気です(^_^;) ・手術したのが本当に良かったのか、悩む毎日でした。 【1月26日】 ・術後2ヶ月検診で、東京のE病院でMRI検査。  手術部位の経過は良好と言われるものの、手術後からのふらつきは続いている。  背中と尻尾付近の馬尾骨にヘルニアがあり、それが原因の可能性があると言われ、手術を勧められる。 首の曲がりも酷いが、それについては、手術で神経を取ったことにより、神経から栄養が届かず筋肉が作られないからとのこと。  3/1にヘルニア手術予約を入れるが、未だ『神経を取っちゃったからじゃないかな~』と疑念はある。まぁ、言えませんでしたが(^_^;) 【2月24日】 ・愛車のエンジン不調。 【2月27日】 ・原因判明、ネズミがエンジンルームの配線等を食い荒らした為とわかり、直るまで危ないので車両の使用が不可能となる。ヘルニア手術を延期し、キャンセルする。 【2月28日】 ・夕方の散歩時、2度目の術後から時々あった、急に左足を上げてピョンピョンする動きが多く、歩きが止まることしばしば。 ・公園でのワン会議中も、『なんか最近首曲がりが更に酷いな…』と気になる。 ・夜、就寝中に、『キャン!』と何度も鳴く。 →明らかに再発症状だが、ひと月前のMRIで良好と言われたばかりだし、ヘルニアによる痛みなのだろうか…。悩むが、車がないので様子見に。 【2月29日】 ・夕方の散歩後、突然キャンキャン激烈に痛がり始め、放置できない状態に。E病院の救急に電話し、翌日3/1の夕方に診察予約をねじ込んでもらう。 ・犬が乗るのを許してくれる私の実家に頼み、終電ギリギリで、往復5時間かけて夫が車を借りて来る。 その間、私は自宅に残っていた痛み止めを探し、Dr.の許可を得て服用させたりするが、緩和する様子は全くない。 【3月1日】 ・E病院受診、ヘルニアが痛んでいる可能性もあると、痛み止めを処方され、絶対安静と言われる。 一番早く入れられる手術日で、17日にヘルニア手術を再予約。 【3月2日~】 ・緊急時車が使える実家に滞在。  3日目くらいより、薬が効き始めたのか、日中は痛がって鳴く回数が減る。 夜はやはり、時々鳴く。 絶対安静だからと基本はバギーで散歩だが、無理矢理降りようとするなど、本人は歩きたがる。 【3月7日】 ・9日に車を修理に持ち込まなければならない為、親に車で送ってもらい、帰宅。 【3月11日~】 ・明け方、モゾモゾベッドを動き回り、人間にぴったり体をくっつけてくるなど、最初の手術前の末期的な行動を再び始める。 散歩でも足が崩れてしまうことが多く、バギーがメインに。 ・以降、日に日に痛がり、首曲がりが酷くなり、歩くのが大変になる。  日中ウトウトし、夜は痛がって鳴き、眠れない様子で、それが気になる私も眠れない日が続く。 【3月14日】 ・代車で、ケージに入れて市内のC病院受診、手術前の血液検査。  血液検査は問題なし。  Dr.に、明らかに再発症状であることを伝え、もしも再発なら、E病院でヘルニア手術をする意味があるのかどうか悩んでいることを伝える。 【3月17日】 ・E病院受診、C病院Dr.より、話を通していただいており、MRI検査をしてみて、手術は結果次第で行うこととなる。  結果、頸椎に再び1㎝程度の再発あり。  組織を採取しないとDr.は診断できないので、言葉を濁すが、ひと月の間に良性の髄膜腫がそこまで成長することは一般的にはまずないため、末梢神経が再び癌化したものと思われる。  ヘルニアが原因でないことが確定したため、手術は中止し、投薬治療による緩和ケアとなる。 ・その際、この先1週間2週間という寿命になってしまうのか尋ねると、明言は避けるが数ヶ月単位だと言われ、少し安心する。 ・痛がり方も限界に来ているため、この日より投薬をステロイド処方に切り替える。 【3月18日~】 ・起床時や夜中に痛がることは多少あるが、日中の痛みは一旦落ち着く。  が、2日ほどでまた痛がるようになり、E病院に電話で相談、投薬量を2倍に増やす許可をもらう。 ・増やしてからはまた少し落ち着くが、副作用の口渇が酷く、ほとんど歩けないのに公園の水道にひたすら水飲みに行きたがり、意思が通らないとゴロンと転がってしまうため、散歩の負担とストレスが募る。 ・21日に、足りなくなった薬を(外出自粛もあり)C病院にもらいに行く。 ・抱き上げる際などに痛がることが、再び増えて行く 【3月26日】 ・今更ながら、支えずの歩行が難しくなっているのは、右前も麻痺していることに気付く。 ・ようやく愛車が直って帰ってくる。 【3月28日】 ・C病院受診。  29日東京のE病院受診予定だったが、外出自粛の為、相談し、C病院で血液検査をしてもらう。  痛がるということで、ステロイド以外の薬も処方、何種類かあるので、合う薬を探しましょうとのこと。 【3月30日・31日】 ・夜中痛くて眠れないらしく、バタバタ寝返りを繰り返す。 【4月1日】 ・自力歩行が完全にできなくなり、排便も室内(大体、抱き上げた時)でするようになる。 【4月2日】 ・日中、暑そうに舌を出しており、身体は小刻みに震えている。  寝る間際から夜中、痛がり激しく鳴く。 【4月3日】 ・舌出し続き、日中痛がる。  寝たまま大量の排便あり、後半は血便が雑じる。  C病院に電話相談するが、連れて来ないとなんとも言えないと言われる。  車で1時間ほどかかるため、独りで連れて行く事ができず、緊急時は近所の他院に行くことにし、一晩様子見。食欲もない。夜も眠らず。 【4月4日】 ・AM、C病院受診。  他の犬友から犬にも眠剤があると聴いた為、少しでも苦しくなく眠れればと、眠剤を処方してもらう。 ・『これからは介護になるので、褥瘡防止に低反発マットレスに寝かせて下さい』と言われ、帰りにホームセンターへマットレスを買いに行く。  途中、朝食を半量程度食べる。  これが最期の食事となる。  ホームセンターで買い物を済ませたところで、駐車場で大量下血。  再びC病院へ戻り、午後の診察開始を待って受診。  『ステロイドで胃が荒れた為だろう』と、痛み止めが中止に。脱水対策の注射と、胃薬処方。  夜中12時、夫が眠剤を飲ませ、就寝。 【4月5日】 ・私は連日の不眠のため、別室に寝た為、夜中の様子は不明(夫はお構いなしで爆睡するので)。  ただ、起床時、昨夜寝る前に見たのと全く同じ様子で、目を開けたままヘーヘーしているため、恐らく夜中も一睡もしていないと推察される。 ・水を飲ませようとするが、舌や鼻先に水を付けても舐めようとさえしないため、異変に気付く。 ・目の前に手をかざしても、まばたきもしない。 ・明らかにおかしいので、C病院受診、向かう車中、ときどきクックッと喉が詰まるような様子があり。 ・診察をする頃には少しはっきりしてきて、表情が戻ってくる。クックッというのも止まっている。 Dr.は『眠剤は麻酔と同じ成分になるので、最低用量で出したが、効き過ぎたのだろう。今日からは1/3量に減らして下さい』と、昨日と同じ脱水対策の注射のみ。  確かに、麻酔が切れていない時の症状にそっくり、と納得し、帰宅。 ・目は動くようになったものの、舌を出して目を見開いたままなのは継続し、帰宅後からクックッと喉を鳴らすのがまた始まる。  段々酷くなり、カッカッと、老人が痰が詰まっている時のような様子が続く。 →夫が、『痛くて鳴きたいのに声が出ないのか?』と言うが、私はわずか1日そこらで声が出なくなるとは思わず、麻酔が切れれば治まるのだろうと思い込んでいた。  明日、治まらないようなら、独りで連れて行ける近所の病院に行こうと、動画も撮影しておく。 ・昨夜の教訓から、夫には任せられないので一緒に寝る。  絶えず目を開けたまま『カッカッ』と言っている為、さすったり、水を差し出してみたりを夜通し続ける。 【4月6日】 コロナ 緊急事態宣言の日 ・明け方4時、夫のいない日中独りで介護しなくてはならないことを考え、ちょっとでも仮眠をと、夫に声をかけ、階下のソファーへ行って眠る。 ・6時、夫が抱き抱えて起床。 ・6時半、自力でオシッコが出せなくなっていたので、本日より(いつもは私独りだったが)二人で朝の排泄を一緒にやることにしていた。  夫が抱いているハルを見た瞬間、違和感。  見開いていた目が半眼、ヘーヘーしていた口が閉じている。  『変じゃない!?息してるの?』と訊くと、『息はしてたよ、身体も温かいし』と返答。  歯茎をめくると、冷たく、黒ずんでいる。瞳孔も反応ない。  どう見ても、夫が連れて起きてきた6時よりも前に死んでいました…。  夫は、『嘘っ!だって冷たくないし、柔らかいよ』と愕然。    こんなところで笑い話って不謹慎なのですが…。  夫は消防職員です。  完全素人の私が、一見して死の気配に気付いたのに、いいんですか、それで!  生き物は、死んですぐに体温は下がらないし、死後硬直も始まりません。  サスペンス好きが何を言っているんだか。  『人命救助はしない方が良い!』と、泣きながら言ってしまいました。  近隣の方、安心して下さい。  夫は救急の資格がないので、救急車は乗りません(笑)  肩書き上、事務方なので、災害現場にも多分行かないと思いますし(^_^;)  そんな馬鹿なこと言ってる場合か。って思いますよね。  でも、ヘーヘーと、苦しそうな顔で、『行っちゃうの?』という目で私を見ていたハルを置いて、階下に降りたのは私です。  夫はあてにならないとわかっていたのに。  そう思ったら、夫を責めることはできませんでした。  ほんの2時間くらい、眠らずにいればハルを看取れたかも知れないのに。  ハルは、置いていなくなってしまった私にガッカリして、生きるのをやめてしまったのかも知れない。  そう思うと、悔やんでも悔やみきれません。  夫が出勤後、C病院に逝去の電話をしたところ、『こんなに急変するとは、昨日の様子からは思えなかった』と絶句していました。  正直、全然緊急性を感じない病院の見立てがあったからこそ、ハルから離れて仮眠してしまったし、看取れなかったという想いはあります。  けれど、それ以上に、ハルは本当に本当に、限界がくるギリギリまで、病院の先生にもわからないほどにがんばっていたのかな、とも思います。  最初の手術以来、介護負担で、頸椎から背中が痛くて整骨院通いしている私に、負担をかけないように…。  2週間後に、亡くなる前日の『カッカッ』と苦しんでいる映像をDr.に見てもらいました。  直接の死因がなんだったのかと、あの症状がなんなのか(もしかしたら咳なのかな?と思ったので)を、今後、またお迎えする子の時に経験とする為にも、きちんと知りたかったからです。  Dr.の見立てとしては、『髄膜腫の再発による神経の炎症、その為に、最期は脊椎が圧迫されて、痛み、苦しんだのだと思います。これは咳ではなく、辛くて、声を出したいけど出なかったのだと思います。(私達を)呼んでいたのかも知れません』。  そう聴いて、また涙が止まりませんでした。  ごめんね。  辛くて、苦しくて、私達に助けを求めていたのに。  全然気付かず、最期まで一緒にいてあげなくて、本当にごめんね。    

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